サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

ゼロがもし発見されなかったら

 数学におけるゼロが、仮に存在しないとなるとどうなるだろうか?
 つまり、数学における「0」がないままに歴史が推移したら、科学技術はどのような状態になるかをスペキュレート(熟考)してみたい。
 負数はありえなくなる。正の数しか認めない時代は実際にとても長かった。
イタリア・ルネッサンス期までそれが続く。2次方程式での2根の存在は自明ではなくなる。
 そういう意味で、方程式論はじつに混沌としたその場限りの解法の集成になるだろう。
 簡潔に説明しておこう。
 右辺にゼロを等値するだけで方程式は驚くほど統一的に扱える。
一次方程式ではゼロのパワーはわからないが、二次方程式以上になると段違いである。また、連立多元一次方程式の処理は線形代数の主題であるが、判別行列式det(A)(デターミナントA)=0がどれほど有効かはご存じの方々も多かろう。

 平方根の中身が負になることを扱えないとなると虚数もありえないだろう。数体系が不完全であるため、群や体などの代数の道具も生まれはしない。ガロア理論は生じないだろう。
 それに原点など思いもつけないので数直線は存在しない。なので、解析幾何学はありえないだろう。そうすると微積分学は諦めてもらうしかない。極値の条件である微分してゼロになるというような考え方は一部の数学的天才しか理解できないものになるだろう。
つまりは、古代ギリシア幾何学の延長しか数学という名にふさわしい学問はないことになろう。数論もディオファンタスのおさらいだけだろう。
 理系大学生が習う数学レベルを理解できるのはほんの一部の専門家だけに縮小されるのではなかろうか?

 ということで、ニュートン力学以降のすべてを放棄することになろう。また、コンピュータなどという代物はソロバンか算木が代行していることになろう。その世界ではインターネットをソロバンで実現しているだろうか?冗談にもならない愚問であろう。
 電磁気学はありえないのだ。負の電荷など考えられないからだし、電流も想像の枠からはみ出していたことだろう。それにMaxwel方程式を考えつく能力など誰にもないだろうし。
 原子論はありえるだろう。もともと古代ギリシアイスラム哲学にも原子論があったのだ。しかし、それは定量科学にはなりえまい。しかし、観念的なものとどまったであろう。ラボアジェのような化学者たちが原子論に科学的な場所を与えることができたのは、質量保存や熱量の計測によった。
 原子物理学もないに等しかったろう。例えば、電子なるものを観測し得る抽象概念をゼロなしに構成できるかどうか、出来るとしてもそれが途轍もない知的努力を必要とするだろう。
 量子力学もまた起こりえない。シュレディンガー方程式から虚数を除去できないことが証明されているのだ。
 家電もスマホもない、せいぜいエレキテルで感電するくらいが関の山の低いレベルの電気文明になろう。蒸気機関は可能かもしれないが、ワットは工学を学んだからこそ調速機を生み出せた事実があることから、蒸気機関の発展に対して数学や力学の関与を無視できないだろう。
 つまり、かなり太平楽な農耕社会にとどまっていたと想像される。ゼロのおかげで国家財政の赤字額に驚き、ボーナスの桁数の少なさに嘆くハメになる。
 ゼロと記数法をもとに計算&設計された巨大建造物やそれを支える物流ロジスティックスやエネルギーフローといったものは、数字で語ることができる技術的能力の賜物だ。
 
 ゼロがこれほどの力能があるんは、おそらく数字のもたらす自由さ、物質の束縛からの解放にその一因があるのだと推察する。
 物理学者の朝永振一郎はこう言っていた。

〔時空とか量子とかいった人間界から遠く離れた〕風景を記述するには,われわれが全く知らなかった概念を用いねばならない。 ところでわれわれの日常の言葉はあまりにも日常的な概念の重荷を負いすぎているので,これらの世界における自然の法則を綴るだけの自由さを持っていないのである。それゆえ,これらの新しい世界で用いられる言葉はもっと純粋であり,それだけ自由なものでなければならない。そういう言葉は,すなわち数学である。これが物理学の形が次第に数学的・抽象的にならねばならぬ理由である

 日常的な特性を完全に漂白して無機質なものに研ぎ澄ましたものが数字である。
 科学哲学者の吉田夏彦は「数学のような貧弱な概念」が科学で有効なのは不思議だと指摘していたが、朝永振一郎の言い換えとも言える。ギリギリに実体から具体性を削ぎ落とされた数字だからこそ、そのヒトへの伝達能力は揺らぎがなく完全である反面、それは至る場所いたる時でも同一の意味を持つ。
 そのなかでも「ゼロ」は他の数字と対峙している。他の正数は存在に対する写像、対応が可能であった。ゼロはそうした対応を完全に切り離す。無となる。そればかりでなく、他の数に作用して有→無の転換をも司る。
 原点に位置するにふさわしいのはゼロである。なぜなら、そこからあらゆる数が生成されるからだ。


【参考文献リスト】
 基本文献である『零の発見』の著者は上記の吉田夏彦の父である。

零の発見: 数学の生い立ち (岩波新書)

零の発見: 数学の生い立ち (岩波新書)

 ゼロの発見の根底にはインド思想の「空」と共通部があるとされる。数学でも空集合の要素を数えるとゼロになる。

インド思想史 (岩波文庫)

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  • 作者:J. ゴンダ
  • 発売日: 2002/12/13
  • メディア: 文庫

 コンウェイの数の生成ルールを小説したもの。ここでも「空」からゼロが生まれる。

インド思想史 (岩波全書 213)

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  • 作者:中村 元
  • 発売日: 1968/11/01
  • メディア: 単行本