サイエンスとサピエンス

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クレオン 扇動政治家の元祖 

 「デマ」の語源を調べると「デマゴーグ」というドイツ語の外来語がおおもとだとでてくる。古代ギリシアの扇動政治家をドイツの史家たちが名づけたのが、デマゴーグなのだそうだ。

 日本にはおおかた、マルクス主義にかぶれた人たちがアジ演説などで多用したため、すっかり定着したのだろう。原形をとどめない「デマ」という用法にまで切り詰められてしまったのは、いかにも日本的だ。

 デマゴーグDemagogはデーマゴーゴスなるギリシア語から生まれたのが、この語頭はDemos=民衆であるのが皮肉であろう。デモクラシーのDemoもDemosを含んでいる。

日本語のデマはギリシア語で民衆にほとんど等しいことにあろう。

 語源遊びはここまでとして、古代アテナイの扇動政治家といえば、クレオンだ。

全盛期のアテナイペリクレス亡き後、政治的軍事的に迷走を続けて、十数年でペロポネソス戦争に敗れた。その原因の一つがクレオンのような扇動政治家の登場だというのが定説であった。

 しかし、Wikiの説明は客観的な記述にとどまる。

トゥキュディデスとアリストファネスという古典期アテネを代表する文人をいわば『敵』にまわし、彼らからさんざん罵倒されたクレオンは、アテネ市民を堕落させた唾棄すべき下劣な扇動政治家として歴史に名を刻むことになった

政治的 保守層のトゥキュディデスとアリストファネスは成り上がりのクレオンに対して偏見があり、それが後代の低評価につながったというような書き方だ。

もとより、厳正中立な歴史記述などはありえない。トゥキュディデスもクレオンたちを不当に扱ったことはあるだろう。何にせよトゥキュディデス以外に情報源は少ない。

けれども、後知恵であるにせよ、戦間期におけるアテナイの民主政治はタガが狂い、堕落していたのは事実であろう。その代表の頭目クレオンのような扇動家たちであるのは確かだ。

 ペロポネソス戦争中に国外追放をうけたトゥキュディデスは、それでも愛国者であり、憂国の史家だった。彼の歴史書アテナイの栄光と没落を一大叙事詩として不朽な記憶とした。その見事な手腕と記事の扱いはその後の歴史スタイルを決定した。

それが可能であったのは、深い悔恨と痛恨の情があったからに違いない。

単純な党派性と軽蔑でクレオンを貶めたとは考えられない。

 なによりも、この史書のクライマックスをなすはずの、アテナイの最後の敗戦、アイゴスポタモイの戦いを仕上げる直前に、史家は亡くなっていることがその心痛を物語る。この史家の雄渾な魂ですら耐えられなかった悲劇の結末だったからだ。