古代朝鮮の三国時代は倭国との関係もあり、なかなかに魅力的な時代であります。
かねてより、関心をもっているのは新羅と古代ローマの交易です。
そもそも、ユーラシア大陸内のつながりですらミステリーな痕跡を残します。
ガラスの事例がいい例でしょう。奈良の正倉院のガラス容器は有名です。
シルクロードを伝わってきたガラスが大切に保管されている稀有な宝庫です。古いものは天平勝宝四年(752年)にガラスが納入されていたようです。器の源流は西アジア方面です。
だが、何と言っても由水常雄の『ガラスの道』には素敵なことが述べられています。
新羅の文化交流はローマとダイレクトにあったかもしれないのです。しかも、今日までに新羅古墳からだけ、ローマンガラスが出土しているといいます。百済の古墳や加羅の古墳からは同様な物が出土していないのです。
高句麗経由での流入はありえそうです。高句麗の遺跡の発掘は遅れていそうですしね。中国本土には、河北雀景禁の封魔奴墓の鍵麟文碗があるそうですが、遊牧民族系の墓地であるらしい。
いずれにせよ、古代や中世の東西の交渉はかなり緊密であったのではないでしょうか。
玄菟郡はその設置の当初、沃沮県(威興付近)に郡治をおき、少なくとも四県以上の属県をもっていた。沃沮県は日本海に面し、その名は沃沮族に由来していて、沃沮族を統治するため置かれたともおもわれるが、そのあたり一帯は減族の住地であったという。
漢が異民族統治のために設置した統治の地割ですが、下の地図のような奇妙な形状になっています。これは交通の流れに従っていると考えていいでしょう。
日本海に面する威興まで内陸部からの物流ルートがあったわけです。新羅まで通じる西域との交易は、これである程度まで推定できるわけですね。
新羅はシルクロードの東の端にあったわけなのです。
これで、藤原氏ミイラのエジプト起源説はすこし真実味を帯びるかなあ。
- 作者:由水 常雄
- メディア: 文庫
【参考文献】
地図と引用は下の書籍にもとづく。それにしても、古代朝鮮を扱う類書は数が少ないなあ。しかも最近の研究を一般向けに紹介した本も少ない。