サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

経済成長の神話(myth)とミスリーディング(誤った方向性)

 パスキアの絵が100億円とか、バンクシの落書きが何百万ポンドとか落札価格が話題になる。そのたびに考えるのは、経済成長のことだ。
   どういうことか?
 市場の取引は価格決定プロセスだ。それは同時に金銭取引となり、それはどこかの帳簿なり口座でチャリンチャリンとマネーが響く音になる。
 仮に、ゴッホの耳そぎ事件の診断書がオークションで値打ちものになり、レアなアニメのフィギュアが高値取引されれば、元の価格の何千倍、何万倍の価格になる。
 これが最近の「経済成長」の大きな要因だと思うのだ。
 バイキングの遺物や新しい王家の墓にもチャリンチャリンが鳴り響く。
埋もれている「お宝」が市場に出ると価格がつき、帳簿に資産が追記される。
それは鉱物でも宝石でも異なることはない。ビットコインのマイニングも採掘が原義だった。農地のジャガイモ収穫もおなじようなものであろう。

 これらをまとめてハイデガーの用語で「非伏蔵」と呼ぶ。経済活動に暴露されるとそれは、社会に用立てされる準備ができたことになる。人間界の掘出し物でも自然界からの資源や産出物でも違いはないだろう。
 つまり、値札がつくのだ。そうして、世界の帳簿に資産が追記される。
「二十一世紀の資本主義」はこんな無形資産が増大していると指摘がある。
 ブロックチェーンは公的台帳管理の技術でもある。資産の台帳はその真正さと正確さが市場関係者すべてに認められるから成立する。
 チャリンチャリンは音だけではなく、(コンピュータの中の)信頼レコードが書き加えられることだ。ビットコインだけではない。
 いってみれば、世界の資産とは相互信頼のレコードの総体なのだろう。

経済学には「水」と「金」の価格の挿話がある。生活必需品の水は安く、金はなくても生きていけるのに高い。その謎めいた価値の差をめぐる話だ。
 バンクシの芸術はアニメのフィギュアも「金」と変わらない。歴史と文化の差しかない。それを尊ぶ一群の人びとがいるから高い価格がつく。

 バンクシの絵もフィギュアがそうしたグループから見放されれば、それはゴミになる。価格はゼロになる。文化流動や経済変動を含む文明の興亡はそれを物語っている。

価値観を支えている人たちが減少すると無形物から見放されるようになるだろう。だんだんシュリンクしていき、有形資産だけが残る。それは不景気という呼び方では足りないだろう。トインビーのような文明の衰亡を語る歴史家なら、そのような未来を存分に示してくれるはずだ。