21世紀に初頭から現代文明は変調をきたしている。歴史家や経済史家、科学者らはそれぞれ危機意識を込めた「衰亡論」を提案している。それと並行して「世界史」ものも話題になっているが、これも人びとが過去をマクロな視点で振り返りつつ、次にどう歩むかを考えている証(あかし)であろう。
1970年代にローマクラブが提出したレポート『成長の限界』も衰亡論の走りであり、原点だと理解することができる。
その長所は何かというと複眼的で相関的なところだろう。文明の衰弱は一つの原因だけではないということだ。
ラインハートとロゴフ『国家は破綻する――金融危機の800年』は国家財政に焦点を当てている。GDPの低減に絞ったのがグレン・ハバード &ティム・ケイン『なぜ大国は衰退するのか 古代ローマから現代まで』だ。
経済一元論ですべてを語れるだろうか?
あるいはダイヤモンドの名著『文明崩壊』は環境問題(生態系バランスの崩壊)に原因を求めている。地球温暖化という現実問題に見合う設定であるけれど単純化されすぎている。
ローマクラブのモデルの要素の関係性は下のようなものだ。
もっと分かりやすく、5個のカテゴリにふりわけることができる。
「人口」「環境汚染」「天然資源」「経済」「食糧・農地」だ。
50年前のモデル(メドウズのシステムダイナミクスモデル)なので、古い感じはする。当時は公害が環境問題の最たるもので、人口爆発は切実だった。農地はやがて人口増に見合うものではなくなるというマルサス思想が強く反映されている。
スポンサーの意向を叶えるような経済成長重視モデルであるが、当時の産業分野である工業とサービスと農業しか産業を分解しているだけだ。ITは無視されている。天然資源もリサイクルは含まれていない。今日の資源回収とセコハン利用の活況は文明の延命化に貢献したのは間違いない。
しかも50年間はすべての国々は工業化して、テイクオフ(先進国に移行)できるとされていた。アフリカや南アメリカ諸国の多くのような経済低迷は予想されていなかった。
経済モデルや食糧・農地モデルのように重要な項目を分解して、カプセル化したのは有効な統治手段である。だが、社会サブシステムの内部構造の存在はその「摩擦」を連想させる。遅れと非効率性をもたらす力学系のダンパーのように働くのではないだろうか?
線型方程式ならダンパーは安定化をもたらすのだけれど。
いずれにせよ、このモデルはそのまま使えない。しかし、updateできるだろう。
その衰退モデルに向けたupdateは力量ある人に任せる。
ここより、思弁をさせていただく。
何よりも「成長の限界」をシミュレーションするのではなく、「文明衰亡の緩和」をシミュレーションするものにできそうだ。
その根本の原則はロジスティック曲線であろう。つまり、限られた資源と空間では生物の数Nは下記の微分方程式に従う。
ここで r は成長率である。
その振る舞いは横軸に時間 tをとれば、このようなカーブとなる。N0で飽和する。
多くのケースでロジスティクス曲線が定性的に当てはまる。日本の人口などは移民を認めていないから、よく当てはまるだろう。
しかしながら、このモデルは「衰退」を記述していない。飽和して定常状態になるだけなら、それは安定した状態である。文明崩壊でも滅亡でもなんでもない。
この先は不十分なことは承知の定性論。ロジスティクス方程式を離散化すると
リー・ヨークの定理がこの非線型離散化方程式ではあてはまる。つまり、カオスを含む。rが3.55では下のように定常状態にはならない。
こんな分岐を示す可能性もある。
実はこの現象はロバート・メイがシャーレの中で観察した昆虫の個体数の現象であった。
人類のモデルとしてはガラス容器に閉じ込められた昆虫群はなんともピッタリのモデルなのかもしれないし、その変動がカオス的とは文明の掉尾にふさわしい形容かもしれない。
【参考文献】
メイの実験とカオスの関係はこの本にある。