以前にもエンジニア=engineerの語源を調べたことがあった。
その補足情報だ。
英語のengineerはラテン語のingeniumから来るらしい。才能にあたることばだ。
技術史家のアーミティジによると
紀元二○○年に発明された戦争機械を記述するために、テルトゥリアヌス(初期のキリスト教会の司祭)が使った
何よりも軍事主義のローマ帝国時代のことばであり、戦争機械の発明者あるいは組み立て者について、初期キリスト教の教父が残しているというのが、興味深い。
古代ギリシア人たちはそのような発明家の才能を軽蔑していたのだ。実務的なローマ人だからこそ、そのような技術的才能を評価していた。
しかし、次第に技術的な進歩は重視されなくなり、製造技術は軽視されるようになる。アーミティジの取り上げた「無名の著者」はその代表だ。
紀元4世紀後半に書かれた『武器について』では、
艫や帆を使わずに、外輪車で船を推進させる可能性を研究した最初の人であると主張できる。提案の一つは軍艦についてで、その軍艦では牛が回転する車地のまわりを歩き、六つの外輪車を動かすようになっていた。このほかに、大鎌で武装した戦車、移動可能な橋、さまざまな投石器といったような労働を節約する機械装置を説明している
このような言説はレオナルド・ダ・ヴィンチのものとそっくりだ。もちろん、この提言は帝国の文官によって握りつぶされたと専門家は判断している。
そして、西ローマ帝国はこの言説の百年後には崩壊している。
ギリシアとローマの分水嶺はアルキメデスであったかもしれない。
いまのサルジニア島にあったギリシア人都市国家のシュラクサイをローマ人たちが攻め落とした。その攻城戦の際に大活躍したのがアルキメデスの戦争機械であった。
城壁を守るため彼の製作した巨大なかぎづめ付きの装置がローマの軍船を次から次へと沈めた記録は、プルタルコスの英雄伝に残されている。確か「マルケス」伝だった。