サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

非アメリカ系知識人しかいないコロナ時代の島国

 コロナ発生騒ぎ以前からだろうか、ひとつ気になった言論について時代の風潮がある。

 もてはやされる海外知識人いうのが、どの時期にも存在しているのわけなのだが、

アメリカ人はいないようなのだ。

 時代の先端と将来像をかたる人物はの需要はいつにもまして高いポストかインターかのコロナピリオド、その存在感は非アメリカ人にある。

 いまのはやりを幾人かあげておこう。天才哲学者のマルクス・ガブリエルはドイツの大学教授だ。天才的歴史家という(早すぎる)呼び名のユヴァル・ノア・ハラリイスラエル人だ。

 この二人ほど体系的な知識人ではないが、台湾の天才プログラマー唐鳳(オードリー・タン)もメディアの表出が高い。ちなみにあとの二人はカミングアウトしている。

ちょっと古いがエマニュエル・トッドというフランスの歴史人口学者も含めておこう。

 

 ともかくも、これまで日本のメディアにはアメリカ知識人がかならずいた。政治、社会、経済、技術、歴史どれかのずば抜けた人物が右往左往する島国に世界はこうなっていると訓示をしてくれていたものだ。

 どうしていなくなったのだろう?

 自分の仮説では混迷の淵にあえいでいるアメリカには時代の様相を総括できる人物は不足しているというものだ。未来の展望を説得力をもって語るには将来性とそれを信じる国民の一員でなければならない。

 トランプ、バイデンと二代にわたって無思想かつ無謀で非力な指導者しか選出できなくなった国がアメリカであり、その人たちにパワフルな語り部がいなくなったとしても不思議ではないのだ。