サイエンスとサピエンス

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アメリカの鳥類と日本の鳥類の物語ること

 2014年のナショジオの記事『米国の鳥類、深刻な生息状況』によれば種によって明暗があると報じれられていた。それが、2019年のギズモードの記事では『北米では鳥の数が3割も減っている』とあって、なんか末期的な雰囲気が出ていた。

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 なんでも、アメリカとカナダの鳥類の種数は529種なのだそうだが、日本はおおよそ577種なのだそうだ。鳥類にとって多様性が維持されているような数字である。

 日本でも雀の個体数減が篤学の研究者によりレポートされていたので鳥類が住みにくい場所になっている。けして他人事ではないのだが、それでもアメリカよりマシな感じがする。

 その根拠は天災の存在だ。

 火山と大地震津波が人類を周期的に痛めつける。地表からパージしてくれる。しょせん、人類の活動は鳥類の減少につながる。営巣場所はどんどん失われ、餌場も開発されていく。それに超高層ビルや飛行機、風力発電などは駆除手段になっている。とくに飛行機は大敵だろう。ある意味、地表から人がいなくなり自然が戻ることが天災だ。

 だから、自然が再生されるといえないだろうか。極論であるけれど、豪雨による濁流は本来人の住処に向いていないはずの場所を押し流し、河川の自然回復だと言えないだろうか?

 日本列島の生態的多様性はいうまでもないが、天災もその多様性維持に一役かっているのではないだろうか。

 北米のように近代文明が好き勝手をやって、そこにあった大自然も先住民も含めて丸ごとパージしてしまった。人類の我儘と傲慢が作り上げた大地に人類と自動車が専横している。

 これでは自然の再生などは困難だろう。メディアが取り上げる自然保護活動は小さな線香花火でしかない。すぐ消え去って忘却される類いのエコロジ運動があっても持続しないし、自然再生までに届かない。

 北米では、先住していた動植物を絶滅のおいやる先進的な技術と大量消費に裏打ちされた現代人の経済活動がうまずたゆまず拡大継続しているのだ。

 それに対して、日本では天災がそれに待ったをかけるのだ。

 この狭い列島に住むものなら誰しも天災を恐れるし、遭遇しないことを願う。だが、その被災者となったとして、ささやかな慰めがある。

 それは自然がよみがえることなのかもしれない。我が国の中世以来の文学的伝統はそうした諦念の文化を培ってきたといえる。

 天災は人類にとっては災いであり、誰しも避けたい自然界の出来事である。だが、偉ぶる霊長類の一種に対してはゼウスの雷撃とでもいえよう。