サイエンスとサピエンス

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月都ハランへのボルヘス的探究

 はじめに月都ハランに触れた記述はJ.D.バナールの『人間の拡張』の1972年版の翻訳であった。もとは「賢者」バナールの物理学史講義だ。

 そこにはこう記されている。

 ここでいいたいのは、タレスは少なくとも過去200年にさかのぼる非常に長期間に日食表にもとづかねば、この予言はできなかったはずだし、しかもこの表は彼自身には用意できなかった。彼はこの表をバビロニア人から得たに違いない。ちなみに、バビロニアの天文観測はモハメッドの時代およびそれ以降まで続いたに相違ない。

 というのは、ひとつの都市ー月都ハランーが書物の民を除くすべての異教徒を襲うことを命じられていた回教徒軍から特赦を受けたからである。... しかし、ハランの人々は天文観測の書物を示すことで特赦の仲間入りができた。彼らは星と月と太陽を崇拝しつつ観測を続けた。

 月の都とは、なんともミスティックな呼称ではないか。攻撃的な回教徒たちの剣かコーラン朝貢かを免れた伝統のある文化都市が中東にあったのだ。

ハランとその住人についての次なる発見は、再び、数理系の歴史書に含まれていた。

ファン・デル・ヴェルデンの『代数学の歴史』(1985)である。

 サビ教徒ベン・クッラの業績の紹介にハランが登場する。ベン・クッラは自分には友愛数の導出アルゴリズムで既知の数学者でもある。

 ヴェルデンの引用によれば、ハラン人は本物のサビ教徒でなかった。惑星神について神殿を建立した。ハラン人の生活様式ピタゴラス主義者に似ていたという。

古代天文学についての成書というと『望遠鏡以前の天文学』となろう。

10世紀の書誌作家イブン・アン口ナディームはファザーリーがそのような器具(アストラーベのこと)を製作した最初のムスリムであると述べている。イブン・アン=ナディームはまた,当時アストロラーブの製作がハッラーン(現在のトルコとシリアの国境近くにあった中位の都市)を中心に行われ,そこから各地に広まったことも伝えている。

 案に相違して以上がすべてであった。だが高度な天球儀を製造する技術と天文学の源であったのは確かなことだ。

 

 さて、サビ教という古代宗教の名称はヒントになる。その場合に役立つのは、エリアーデの著作であろう。

 果たして、彼の『世界宗教史 第二巻』にハラン派について説明があった。

それは、天体への信仰とは別の情報を含んでいる。

ヘルメス信仰の伝播は、密儀的宗教の歴史において魅力的な部分を構成している。それはシリアとアラブの文学をとおして伝えられ、とくにメソポタミアにおけるハランのシバ人のおかげで、二世紀までイスラム世界に残っていた

その出典としては、ハンス・ヨナスの『グノーシスの宗教』が指示されていた。

この訳本は幸い手元にある。故 秋山さと子の訳業だ。しかし、ここで探索の筋道は断ち切られる。ハランもシバ人も訳本には出て来ないのだ!

 

 ハランの伝統は遺憾ながら1250年に断ち切られた。モンゴル騎馬民族によって徹底的に破壊されたのだ。

 

 

ja.wikipedia.org

 

 今回の書誌学的&ボルヘス的な探索では、Wikipediaと異なり、科学史的な係累があからさまにされたといえる。ハッラーンそのものの歴史ではWikipediaには劣っているものの、その科学史的な重要性は浮き彫りにできているようだ。