サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

グローバル技術史の貧困とその症状

 ホモサピエンス全史とか、出口治明の歴史やマクニールの業績とか、世界史眺望ものは豊穣の季節を迎えている。

 それに引き換え、気の毒としか言えないのが、科学技術史関係の参考書の不毛であろう。おそらくは山本義隆一人が気を吐いている。それも物理学史に限定されたものだ。

 20世紀末までは、もそっと幅の広い科学技術史の本が手軽にアクセスできた。

 ダンネマンやバナール、ニーダム、ブロノフスキなどのパワフルな書籍が新刊本屋で踵を接して並んでいた時代があった。文庫本にすら読み応えのあるシュテーリヒの『西洋科学史 全五巻』があった。

 とりわけ、自分が慨嘆したいのが技術史分野の書籍不毛だ。早い話、21世紀における情報通信分野の特化&肥大化を語るため、必須のはずだ。もはやルイス・マンフォードはいない。

 ちまたに語られるムーアの法則はアンバランスな技術発展の指標としてみるべきとファクトベースでもって語りたい。だが、そのような価値観をもち/共有するには全体的な技術史の視座の獲得が肝要だと思われる。

 科学側には科学社会学があり、また、廣重徹の遺産である『科学の社会史』のような流れがある。しかし、技術面に関してはその方面の研究や一般的な著作はあまり多くないようだ。

 それと対照的に、IT(情報技術)に関しては多すぎるほどの業績や書籍がある。正直その語りの多さに自分は辟易さえしている。デジタル、ネット、ウェブ、AIについてはバベルの時代並みのにぎやかさだ。

 ITの異常な発展と生活浸透が人類と社会にもたらす影響といったものをより中立的かつ歴史的遠近法で語るべき時なのに、我らにはその視点と基盤がないままなのだ。

 ひょっとしたらITの突出的発展が、地球温暖化核兵器環境ホルモン並みの悪影響を与える可能性だってあるかもしれないが、それを云々する力量や視点は誰にもないままなのだ。

 20世紀前半における精神遺産の実績に対して、我ら21世紀時代人の思考能力の貧困をかこつのみ。

 

 

【参考文献】

 本書の刊行で廣重徹の業績を思い出した。この人の『科学の社会史』の良識を知る人はどれほど残っていることだろうか?

 

20世紀前半の偉業の一例はワイマール文化だろう。いや同時期の日本もなかなか頑張っていたけれど。