幕末の志士というと坂本龍馬、西郷隆盛などが思い浮かぶ。あるいは吉田松陰や高杉晋作、桂小五郎などもそうだろう。一方の幕府側だが勝海舟や山岡鉄舟、新選組の面々なども人気がある。
そうそうたる面々なのだが、いずれも政治的な策士、行動家であり、武道をわきまえた戦士の一面を備え、水戸学などの儒教的教養を具備した人物を思い描く。
それはそうなのだろうが、ここに佐久間象山なる偉人にして異人がいる。彼こそは「夷を以て夷を制す」という富国強兵の根本を早くから認識し、西洋科学技術の卓越性を指摘した特異な志士だった。
つまり、理系の志士だった。
それを証明するのは彼の肖像写真だ。
オランダ語の書物を取り寄せて、独立独歩で写真化学の基礎技術を修得した結果の自家製の写真なのだ。
それだけも驚異なのだが、象山は30歳までは儒学者であり、蘭学とは無縁だったことは覚えておいたほうがいいだろう。昼夜兼行で10か月でオランダ語を独習したという。
門下生には吉田松陰や小林虎三郎などがいる。海舟もその影響下にあったのはもちろんだ。いずれも尊王攘夷をこえてゆくための見識の仕込みとなってゆくものだ。
彼の実理の追求と海軍パワーの実現は、当時として欧米列強の威圧に対する唯一の解であったのはたしかなことだろう。
我らのような数学と自然科学の徒としては、彼のことを敬い、もっと知っておいて損はないと思う。
彼の主著である『省譽録』には、数学についてこうある。
今まことに武備を修得せんと欲せば、先ずこの学科を興すにあらずんぱ、不可なり。
如何せん、評伝の書き手たちは文系の学者たちなので、象山の数理技術の知識がどの程度のものであったかは具体的な研究がなされていないのが残念です。
なお、彼の「象山」の読み方が二種ある。「ぞうざん」と「しょうざん」だ。
前者は松代の地元の山の「ぞうざん」がもとで、それにちなみんだ号だという説。
後者はある手紙に「しょうざん」と書いてあるものが一つあるというもの。
Wikiは両論併記だが、それでいいだろう。自分の考えでは地元にいたころは「ぞうざん」と呼びならわし、江戸に出てからもっと都会的な「しょうざん」に換えたというものだ。