サイエンスとサピエンス

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原子力発電に関しての私見

 原子力発電が人類と現代文明に適しているかどうかといえば、Noなのです。でもかなりひねくったNoでして、諦め口調のNoであり、しかもなお現状の原子力発電の存続を必要悪とするNoというと、一般の人に「一体全体、どっちやねん!」とどやされるだろう。

 まずは、こんあもん最初から実用化しちゃいけなかったという歴史的な指摘から始めたい。マンハッタン計画が大間違いなのだ。原子力爆弾なんていらんかったし、その副産物としての原子力発電なんてアメリカの科学者や技術者や政治家や軍人たちは製造してはいけなかった。そこから始まります。

 彼らが放射性物質の特性と危険性を知りながら、そのエネルギーを解放してしまう技術を編み出し、おまけに広島長崎に投げ落とす。これは人類に対する大罪ですね。

 彼らの歴史的な大しくじりといっていい。アウシュビッツとともに悪名は刻まれるべきでしょう。原子力発電は原爆の双子なんですわ。

 我が国では山本義隆高木仁三郎が論じる如く、そんなもんいらんというのが正論

では「諦め口調のNo」は何か?

 一端、国中に原子力発電所を建設し稼働させてしまった現実をどう処理するかなんですわ。「店たたんで出ていけ」これはできへんと考えてます。

 福島第一原発事故のような大しくじりをしたんですから、その代償は「原子力発電、即座に止めます」ではないと思います。

もう劇薬を各地に作ってしまったという不作為の罪は国民が背負うべきです。愚かな政治家と役人や経営者だけに押し付けるのも不公平でしょ。

 思うに、原子力安全神話なんてもってのほかでした。電力会社も政治家も自己欺瞞に撤っしていた。だからその行政責任や経営責任は追及すべきです。

 いきなりつぶしても放射性廃棄物の処理ができへん。原発事故の教訓を生かしたいというのが、一つの選択肢でしょう。使いつぶしてそこから学んでいく。毒食わば皿までです。

 その過程で負の遺産を残さないようにするにはどうすればいいかを考えましょう。

もちろん新しい発電所はいりません。でも今ある発電所は使いつぶすか改良しましょう。即座の廃炉して臭い物に蓋をするして知らんぷりは大局的な行政とは思えないですね。

 いやな方針かもしれないけれど、大本はアメリカの原爆開発にあると思ってください。科学者たちの原罪なのですよ。でも一般市民である我らも完全には無罪ではありません。その証拠に、生前の高木仁三郎さんの呼びかけに誰も応えてないじゃないですか!

昭和の頃に原子力発電を安易に受け入れた。その不作為の罪もあるのです。