量子論の建設者としてボーア、ハイゼンベルク、シュレディンガー、そして、デュラックとパウリは有名であり、評価されていると思います。アインシュタインやドブロイを追加してもいいでしょう。他にもゾンマーフェルトやボルンも同じくらい重要かもしれません。
抜けているのがヨルダンです。そして、場の量子論の建設にはハイゼンベルクとパウリ並みの貢献をしていると吉田伸夫氏の指摘でもあります。
実はヨルダンの伝記は日本ではほとんどわからない。wikiの記述は抹消された学者にふさわしく、薄いものです。1902年生まれで、1980年まで存命です。
ハイゼンベルク並みに長生きしています。ここで言及された業績はヨルダン代数のみ!
消された理由は書いてあります。ナチのシンパで突撃隊に所属していたと。戦時中はベルリン大学の教授でいい地位にもいた。積極的に戦争協力した優秀な科学者だったわけです。ハイゼンベルクと同じく戦中もドイツにとどまっただけではないです。
突撃隊だからSS以前のレームによるチンピラ集団みたいなシンパだったわけです。れーむたち突撃隊幹部はヒムラーたちの手で粛清されますがね。
アーリア物理学がナチ政権下で猛威を振るったが、ガーオによれば
ヨルダンはこの政権を支持し, 1933年にナチ党に加入しているが,彼は20年間に得られた理論物理学の進歩を取り消そうなどという奇妙な試みとは何の関わりもなかったようだ.
シュタルクのような物理学者はアーリア物理学でユダヤ人を排除しようとしていた。
しかし、自然科学からユダヤ人をのぞいたらスカスカになるのは自明だ。
あちこちから、ヨルダンの業績を集めてみましょう。
はじめにひのき舞台出たのはボルンとの共同研究でした。ハイゼンベルクが量子力学を提唱した、その本質をとらえた「行列力学」の論文(1925)ですね。行列の性質を上手く物理量の非可換性に取り込んでいるのが後年量子場の考察につながるのを予感させます。
数学的基礎がこれで与えられた。ヨルダンは23歳でボルンの弟子だったことがわかる。理論家としては一流でした。ハイゼンベルクと組んでスピンを行列力学で解き明かしたりします。
ハイゼンベルクと同じ世代のヨルダンの仕事は量子力学だけにとどまらない。
ボルン、ヨルダン、ハイゼンベルクの共同論文『量子力学についてⅡ』は弦の量子論を打ち出した画期的なものでした。場の量子論の第一弾です。
そして、クラインとの共同論文で第二量子化を提起します。量子場の出現ですね。ブレークスルーになったと吉田氏は評価しています。非可換な波動の場がフェルミオンの生成消滅を受け入れる定式化となります。発想の転換でした。
これを受けてパウリとハイゼンベルクが量子電磁力学の基礎論文を仕上げます。1929年と1930年の二回にわけて発表された大論文でした。電子と光の相対論的扱いができるようなった。
もちろん、∞発散の件があって摂動による近似計算ができないので、すぐに行き詰まってしまいます。QED三兄弟の朝永・シュヴィンガー・ファインマンが打開するのですが、それは後の物語りです。
ヨルダンは戦後、ほぼ学問の主流からは除外されました。学界から追放こそされませんでしたが、右翼的な発言が物議を醸していたようです。生粋の理論物理学者でしたが、戦後の業績はそれほど目立たなくなったようですね。重力定数の時間変化をディラックと共に唱えたようではある。
【参考資料】
吉田伸夫氏の優れた場の量子論の解説本。史的にも順を追って場の量子論の発展をわかりやすく説明している。
この本は朝永振一郎の業績中心の本かと、未読の時代には誤解していた。そうではない。でありながら、あの時代に先端物理学の最も精密な理論を極東の地で編み出してのは驚嘆すべきことだと思います。
ヘリオ・ガーオの『20世紀物理学史』は近年の集大成といえるが、ヨルダンの言及回数は21頁くらいあり、ハイゼンベルク、パウリ、ディラックに継いでいる。ボルンと同じくヨルダンがノーベル賞をとってもおかしくはなかったであろう。




