サイエンスとサピエンス

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組織事故モデルからの読解き STAP細胞/旧石器捏造

 日本考古学会の屋台骨を揺るがせた「旧石器捏造事件」とそれこそ世界の耳目を集めた「STAP細胞捏造事件」。この両者を対比させながら、組織観点でそのRoot Cause(根底原因)を探ってみた。
 組織事故に関するモデル、ここでは組織が扱う人工物、プラントや飛行機などでの事故を扱うモデルを参照モデルとして援用してみる。
 学問における「捏造」も個人だけの問題ではなく、研究組織の問題になっているからだ。

 10年以上前の「旧石器捏造事件」は単純化して言えば、日本の先史考古学の閉鎖性と未熟さを露呈した事件だったと総括できる。ほぼ発掘担当者の単独不正であったことは確実なのだが、独立した専門家にチェックもなかれば、客観的指標をもとに堅実に組み立てる研究体制も日本の専門家集団には欠如していたことが判明している。
 何しろ70万年前の石器が東日本でゴロゴロと「出土」しても、ろくに吟味せずに「一流の」研究者たちがそれを認定していたわけだから、お隣の国から笑われても仕方ない。
 戦後四半世紀の旧石器時代に関する研究成果は大きなダメージを受けたと言われる。

 他方、最先端の細胞生物学で起きた「STAP細胞捏造事件」は、短期間で専門家たちの自己修正機能が作動した。なので、世論沸騰して称賛と誹謗が交互に増幅したのは同じだが、学問的な被害はそれほどでもなかったと言える。

 2つの事件の顛末を対比テーブルにまとめると下表となろう。


 ここで、感想めいたコメント。
 STAP細胞では「真理の追求」は専門家コミュニティにより正常に機能した。1年で結論が出たというのが短いか長いかは議論があろうが、新聞のスクープなどという不名誉は免れたのだ。他方、日本の考古学学界は未熟さを露呈したというべきだろう。


 こうした「組織事故」はどのような構図で起きるかを図示したのがヒューマンエラーの大家であるJ.リーズンのモデルだ(下図)
 「事故」を引き起こすのは「人」だ。だが、一人だけの作為で「事故」が起きるわけではない。研究はチームでなされるのが先端科学分野の常だ。相互チェックは間断なくなされるべきであり、成果を開示する際にはそれがレビューされてからの幾重ものレビュー後なのだ。
 すなわち、このモデルの言わんとしていることは、外部から成果の信頼性の疑義を指摘されるのは、組織の機能不全ということだ。
 研究不正を醸成するのは研究組織に原因がある。不正の作為は研究者にある。だが、研究者は組織の末端でしかないともいえる。研究チームが機能しなければならないはずが、それが検閲機能を果たせなかった。また、上位の研究組織が審査せねばならず、それを外部研究者に委ねた。「権限委譲」といえば聞こえはいいがこの場合、責任の丸投げといっていいだろう。

 このモデルから言えることは、やはり組織としての専門家集団の問題だ。日本考古学会の未熟さは所詮、一国閉鎖性と学閥(TH大)のサイロ効果であったのだろう。
 STAP細胞は、もっと根深い問題が、闇がある。メディアの制裁があった。
 一群の熟練した優秀な共同論文執筆者たちが実験の検証をできていなかったのだ。それも細胞生物学という先端科学分野で起きたのだ。先史考古学のような職人芸が残存していないプロの実験家と精密な実験方法論と高度な実験機材の「科学帝国」での出来事なのだ。

 両ケースとも。研究チームが功を焦りすぎたのは同じだ。その結果、見えないモノを見てしまった。当事者以外の研究メンバーは「惑星バルカン」やローウェルの「火星の運河」のように観測装置の向こうに見たいものを投影したのだろう。ちなみに無いはずの運河を観測したローウェルはいまだに尊敬される天文学者でいるのは不思議だが、ある意味当然かもしれない。後進のトンボーに道を開いた「偉大なる誤り」だった。
 リーズンのモデルでは研究組織が不正の露呈を防護しなかったことも示している。つまりは、20年前の日本考古学会も現在の理研も同じ不正防護能力しかないことを暗に示しているわけだ。

 副作用の悲惨さは両方に共通であろう。なくもがなの自死事件だ。STAP細胞では当事者の巻添えであり、旧石器捏造では無関係な研究者の巻添え死だ。
 不正や捏造そのものは作為者だけでなく、メディア喚起による世間のクレームが大きな影響を関連した専門家たちに及ぼす。それが必要以上に増幅されて暴力に変換されると不必要な死が引き起こされるのだ。
 STAP細胞捏造では専門家たちの自浄作用が機能しているのだから、それ以上の罵詈讒謗はちと酷であろう。
 当事者研究者たちは不正の露呈だけで萎縮していよう、そんなメンタル間際な人びとへ「正義の制裁=取材だ、受けなければ不正の上塗りだ」、みたいなのは言論の権力乱用だろう。
 挙句の果てに「捏造」記事も派生することになる。ミイラ取りがミイラになるわけだ。
学問の世界もジャーナリズムの世界もその競争の先端は悪霊の跋扈する場所なのだ。
 どちらにも無縁な一般市民はその苛烈さを憐れみをもって眺めるしかないのだ。

【参考文献】
 騙された側の論理というものが綴られる。それはそれで貴重なのだが。

旧石器遺跡捏造事件

旧石器遺跡捏造事件

 メディアの論客の迫真の記録。「社会の木鐸」というより、正義の制裁の代行者の目線であるのが示唆的。これらすべての総和が笹井氏にとって鉄拳制裁になったわけだ。

捏造の科学者 STAP細胞事件

捏造の科学者 STAP細胞事件

 石器の捏造がなぜ起きたかの社会的な深掘りをしている。学問的な功名主義の世界が浮き彫りになる。読ませる良書だ。

 事実を並べただけのこの書籍のような報告書は今日となっては不要だ。ダメおし本なのであろう。事件後の雨後の竹の子のような本の一例。

旧石器遺跡捏造 (文春新書)

旧石器遺跡捏造 (文春新書)

 O氏の手記は貴重。作為者側の認識は重要なのだ。F氏のように指切り自傷をしていないのには、それなりの信念があるからだろう。

あの日

あの日


 組織観点が含まれないような「捏造事件」原因追求は時間の無駄だ。なぜなら、再発防止にならないからだ。なにより、一般市民は、より理知的で了解可能な「事故究明」を求めている。単なる悪者探しは大衆向け娯楽でしかない。

組織事故―起こるべくして起こる事故からの脱出

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 捏造ではないが一連の天体観測家たちが内惑星のうちに惑星を目撃したことがあった。スター・トレックのスポックと関係がないのは言うまでもない。この本ではアインシュタインが幕引きに一役買ったことになっているが、水星の近日点移動の相対性理論での説明のことだろう。

幻の惑星ヴァルカン アインシュタインはいかにして惑星を破壊したのか

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