サイエンスとサピエンス

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嫁はやがて姑になり

 イスラエルパレスチナ人に行う仕打ちは、どう見ても正当でも公平でもない。それはヒューマンライツなどの中立的団体や各国ジャーナリストの言うとおりだ。ナチズムによる大虐殺、ロシアや東欧での差別や弾圧を生き延びたユダヤ人たちが、弾圧者そっくりの非人間性を発揮しているのは、なんともやりきれない。

 建国の英雄ベングリオンはどう言うだろうか? 
これは興味深い問いだ。彼こそ絶体絶命と思われたイスラエルの名を歴史に刻んだ。自分の使命を余さずまっとうした男のなかの男だ。パレスチナに対する敵意は本意ではなかった。やむにやまれぬサバイバルの手段として、徹底的な軍事行動を実践したにすぎない。

 だが、手段はやがて目的になりはてる。
 イスラエル建国時の戦略、敵に先んじて先制攻撃を行うがイマでも尾をひいているのは確かなようだ*1
 あのようなナチとソックリの残酷性に満ちた軍事活動は四方を数において勝る「敵性国民」に囲まれた国家の生き残る道なのかもしれない。だが、それが唯一の道かというと、そうではないだろう。

 エルサレムは、三つの主要な宗教によって聖都とされた。ユダヤ教キリスト教、そして回教である。これらの宗教は根は一つでありながら、世界の対立抗争の主因になった観がある。神の都もいまや三つ巴の争乱のセンターになっているのも皮肉なことだ。

*1:イスラエル建国はたしかに語られ伝えられるにたる歴史だったと誰でも感じる