サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

賢治と火山

 霧島山新燃岳の被害が宮崎と鹿児島を苦しめている。このような火山の猛威を何とかできぬものだろうか?
 宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」はそのモデルを提供しているが、もっとそれ以上の動機や情熱があるようだ。
常々感じるのだけれど、この宮沢賢治作品の普遍性と未来への情念投影力は格別なものがある。大半のSFやファンタジー(山ほど読んだけれど)は色褪せる。

 科学による火山のコントロールで農作物にとって不順な気候を低減させる、そんな理想の土地イーハトーブ。一切衆生が相互に交感する非完全ユートピアだ(アクは残っているので非完全をつけた)。
 幼少期の飢饉の悲惨を耐えぬき、成長したブドリは使命に燃えて火山局に奉職する。子供時代に味わった自分のような苦しみを人びとがまぬかれる、火山局はそれを実現するテクノロジーを開発しているのだ。

 ラストで、火山爆発にともなうブドリの自己献身のエピソードが遠まわしに語られる。噴火による温暖化で多くの人びとの暖かい食事がもたらされる。「温暖化」がここでは善とされているのは、賢治の時代の東北の不作はしばしば寒さに起因したからだ。

けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、
その秋はほぼ普通の作柄になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪(たきぎ)で楽しく暮らすことができたのでした。

 賢治がここで語ろうとしているのは、法華経の修行者としての「捨身」業であろう。
日蓮宗国柱会に身をおいた賢治はおのれを焼尽させて、万人に幸せもたらす夢を夢見た。よだかの星の主人公や銀河鉄道に出てくるサソリはみなその分身であろう。
普通の童話とかけ離れたキラメキが宿るのはそのせいではないか?

 思うに、見田宗介の代表作の本書は、優れた賢治の評論というだけでなく、その殉教精神の内奥まで、我ら凡人にわかりやすく解き明かしてくれた。刮目の書であった。もっとも発売当時は見田宗介ユートピアを信じていたから、こんな甘い願望成就の思考を盛り込めたのであろうけど。

宮沢賢治―存在の祭りの中へ (岩波現代文庫―文芸)

宮沢賢治―存在の祭りの中へ (岩波現代文庫―文芸)

 ハナシはちょっとトーンダウンする。
 地熱発電は日本のお家芸の一つだ。しかし、どうも穏やかすぎる。火山噴火の膨大なエネルギーを何とか役立てたい、かつての東北のようにブドリとネリの悲劇は起きないであろうが、もっともっと地球環境を穏やなものにしたい、そんな願いはいつ叶えられるのだろうか。

 時代錯誤で甘すぎるけど、フレンチリラクゼーションのピエール・ポルタのこの曲を賢治とブドリの思い出に献じる。

     新燃岳

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