サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

台湾との交流史のひとコマ

 台湾からの見舞金は150億円になり、他国の申し出を圧倒する存在感であるにもかかわらず、日本政府の感謝広告はそれをスルーしたようだ。
 ただ、人びとの感謝の心持ちはこの読売のニュース「つぶやきに6千人賛同…「ありがとう台湾」広告」となり結実したようだ。

 台湾の親日的なところは戦前に培われた。植民地であるにもかかわらず、その統治は他の場所よりはマシというか、まっとうな点が多かったらしい。

 例えば台湾の嘉義の村落で「義愛公」と呼ばれた日本人警官がいる。土地の祠にいまでも巡査像が祀られている。森川清治郎巡査は明治人らしい面構えの物々しい警官だったが、貧しい村のために誠を尽くした生き方をしている。寺小屋教育や畑作指導や治療までも村のために支援したらしい。総督府より納税の督促がきた。森川巡査に村民は軽減するよう嘆願した。 やむなく森川巡査は総督府支庁に窮状を訴えたが役人の誤解するところとなり、罷免されてしまう。
 村民への義理と帝国への義務の板挟みになった森川巡査は村祭りのさなかに自殺する。村民は大いに嘆き、その威徳に感じて小さな祠に神として祀ったという。「義愛公」の名に恥じない忠烈ながら人民への情愛を表明した行為と受けとめたのであろう。
 島民の公衆衛生につくした後藤新平総督府の建物、八田技師のダム建築など土地への貢献と記憶が数多く残される。それらをmapに写しこんでみた。
 このような公正無比な精神が顕彰された帝国植民地は残念ながら台湾だけだけど、それは私どもの誇りとしてよいだろう。


 親日の顕彰が残る土地を台湾に表示した。


より大きな地図で 台湾親日マップ を表示

参考資料

台湾と日本・交流秘話 (歴史・旅ガイド)

台湾と日本・交流秘話 (歴史・旅ガイド)