サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

プラシーボ効果と痛み

 関係なさげな書籍で行き当たったのが「プラシーボ」の話題。

まずは『RCT大全 ランダム化比較試験は世界をどう変えたか』の「偽手術」に関する

記載から。

「プラセポ手術  -偽手術、シャムオペともいう-  は、手術が患者を助けるかどうか判断がつかないときに利用される方法である。ある有名な研究では、変形性関節症の患者に膝の鍵穴手術圃調緬咽葬帥さ〕が有効かどうか調べている。その手術は当時世界中で年間100万件以上も実施されていたが、一部の医師は効果を疑問視していた。そこで1990年代後半にヒューストンの病院が、ある患者群に鍵穴手術を行ない、別の
患者群には膝の切開のみを行なうという実験をした。執刀医も事前に区別を知らされず、手術室に入ったときに助手から封筒を渡されて、目の前の患者に本当の手術をするのか偽手術をするのか初めて知るようにした。患者は局所麻酔を受けるので、偽手術の場合でも本当の手術にかかる時間と同じだけ手術室に滞在させ、実際に手術しているかのように膝を扱った。2年後、偽手術を受けた患者が感じる膝の痛みや機能の具合は、
本当の手術を受けた患者と同じレベルだった。」

 著者のアンドリュー・リーは経済学者である。ランダム化試験という強力な手法で「あいまいな事象」の関係性と存在を立証することができる。その典型ケースが「プラシーボ」なわけだ。

 

 モンティ・ライマンの『痛み、人間のすべてにつながる』でも「期待の効果」でプラシーボが取りあげられている。語源のラテン語は「私は喜ばせる」なのだが、英語に入った当初は「ペテン師」と結びついたという楽しいエピソードも紹介されている。

87ページにその機序を「期待が脳内の薬箱を開ける」とあるのが、現状の科学的理解を簡明に要約している。詳細な脳内物質の研究も記載されている。

 そこでは鍼灸の効果が、ある程度は偽手術と同じである実験も参照されていて興味深い。これがシンの『代替医療』で「鍼療法はいかさまに近い」と同じ主張のようだ。

 

それから、青島周一『薬の現象学 存在・認識・情動・生活をめぐる薬学との接点』 という科学哲学的な労作も面白い。

RTCの実践ケースが記されているわけで、しかも、医療においては「統計的真実」がいつのまにか重要になっているの。その経緯が関心を惹く。

 本筋とは関係ないがクワインテーゼの事例が104頁にある。

「糖尿病は血糖値が高い状態であるがゆえに、高い血糖値を標準的な値
まで下げることによって、健常者と変わらない予後が見込める」という命
題は、糖尿病治療における知識体系の中でも深部にある理論であり、カン
トにならえば分析的命題に分類されるものかもしれない。そして、このよ
うな分析的命題が理論の深淵部にあればあるほど、命題と矛盾するような
経験的データが得られたとしても、理論そのものは容易に反証されない

 

プラシーボの効果は「期待」という気の持ちようの効果ではとライマンも書いていた・

それを具体化したのが、クリス・バーディック『期待の科学 悪い予感はなぜ当たるのか』 だということになろう。

10章がそれを扱うが、のっけからこんな情報が提示される。

「主要な医師会では実際の治療の場で「プラシーボ」という言葉を使うことを倫理違反として禁じている。また臨床試験においてもプラシーボの使用に厳しい制限を課している。」

次節は業界の危機感の表明だ。

「業界にとってドル箱となるはずの薬がプラシーボに対して苦戦をしていたわけだ。
その理由を知るため、ポッターは同僚のデヴィッド・デブロータと組んで調査をすることにした。デブロータは医師で、かつてイーライリリーの治験結果について調べた経験があった。二人の調査によって明らかになったのは、製薬会社にとっては実に恐ろしい事実であった。過去何十年もの間、「これは間違いなくプラシーボ効果だろう」と考えられるケースが一貫して増え続けていたのである
しかも注目すべきは、プラシーボ効果の予測不可能性だ。同じ薬についての試験であっても、どういう状況でプラシーボ効果が起きるかが一定せず、予測が難しい。中でも特に厄介なのが国や地域による違いで、たとえばプロザックはョIロッパや南アフリカなどに比べて、アメリカでの方がプラシーボとの効果差がはるかに大きくなるという傾向がある。
薬学はこの何十年もの間に大きく進歩したはずだが、これほどまでにプラシーボ効果が強いと、この進歩は実は幻だったのではと思いたくもなってくる。仮にそうだとすれば、長年にわたる製薬業界の巨額の投資が無駄になってしまう。

 

 例えば、こんな事例も出てきたそうだ。抗うつ薬の時代と言われたその正体が精神的な影響だったとすると薬価と薬効とは何かが疑問になってくるだろう。

カーシュは二○○八年、新たな協力者グループとともに非公開資料まで範囲を広げて、改めて抗うつ薬の調査を行った。資料はFDAから入手したものであったが、その結果は驚くべきものだった。
抗うつ薬の効果とされたものの八二%はプラシーボでも再現ができたのである。つまり、本物の抗うつ薬の効果はわずか一八%だった。