サイエンスとサピエンス

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アインシュタインとラヴクラフト

 このまったく異質な人物の対比で何が言いたいか。しばしお付き合い願いたい。
 パルプマガジンにマニアックなホラー小説を発表しつづけたラヴクラフトは1890年のアメリ東海岸生まれである。1937年に亡くなるまで、マイナーな三流小説家として一部のファン以外に知られることはなかった。
 他方、その在世の当時から知らぬ人がいない物理学者アインシュタインは1879年のドイツ生まれ。1955年に亡くなるまでの晩年はアメリカのプリンストンですごした。
両者とも同時代人である。

ラヴクラフトの小説はしばしばコスミックホラーと呼ばれ、20世紀後半になるとカルト的崇拝を集めるようになる。「クトゥルー神話」という世界観の説話が今でも書き継がれている。

両者の業績や世評はともかく、性格と思想はまったく対照的である。

アインシュタインのことば「わたしたちが体験しうる最も美しいものとは、神秘です。これが真の芸術と科学の源となります。これを知らず、もはや不思議に思ったり、驚きを感じたりできなくなった者は、死んだも同然です。」

こういう平明さや語りかけをラヴクラフトに期待してはいけない。
彼は職業的恐怖小説作家である。
 だが、ラブクラフトのこのような扇情的なカタリに対して、晩年のアインシュタインは完璧に否定することはなかったろう。

人類は無限に広がる暗黒の海に浮かぶ無知の孤島に生きている。いうなれば、無明の海を乗り切って、彼岸にたどりつく道を閉ざされているのだ。諸科学はそれぞれの目的に向かって努力し、その成果が人類を傷つけるケースは、少なくともこれまでのところは多くなかった。だが、いつの日か、方面を異にしたこれらの知識が総合されて、真実の怖ろしい様相になるときがくる。「クトゥルの呼び声」より

この文章の主は科学技術に対して背をむけ、その努力と結果を悲観的どころか、否定的に観ているのだ。

他方。同じ無知についての発言でもアインシュタインの有名なことばはどうか。

世界について最も理解できないことは、世界が理解できるということだ。

ラブクラフトの全否定とはことなり、孤島的な理解はそれ自体、不可解という諧謔的な意見を述べている。
この「諧謔性」がアインシュタインの一大特徴であり、ラヴクラフトには欠けているものではないか。

人との付き合いよりも、より価値があることがあるという点では二人は似ている。
アインシュタインは言う。

わたしは、あまり人づきあいしませんし、家庭的でもありませ
ん。わたしは平穏に暮らしたい。わたしが知りたいのは、神が
どうやってこの世界を創造したかということです。わたしは、
あれやこれやの現象だの、元素のスベクトルだのに興味はあり
ません。わたしが知りたいのは神の思考であって、その他のこ
とは、瑣末なことなのです。

 こうした恵まれた余生を送ったアインシュタインの死後は、ラブクラフト的な逸話のネタとなった。トマス・ハーヴェイはこの天才の遺言に反して、脳みそをホルマリン漬けにした。それをトランクに入れて見世物にしたのだ。一日本人がそのコレクションに脳の断片をトマスから譲り受けている。

アインシュタインをトランクに乗せて (ヴィレッジブックス)

アインシュタインをトランクに乗せて (ヴィレッジブックス)

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