サイエンスとサピエンス

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NHK大河ドラマ「江」の鑑賞 一つの偏見

 毎日曜日、『江 -姫たちの戦国-』を熱心に見ております。
 江姫がどのようにたくましく成長していくか、楽しみにしております。
 チャン!チャン!
........ではどこかの投書欄みたいなだけなので、もうチョットだけヒガメの意見を云ってみます。

 『江』の構成は、父・浅井長政の死と小谷落城や、本能寺の変賤ヶ岳の戦い、母・市との悲劇的な別れといった史実に縁どられた姫君をめぐる美談の連鎖でしかない。あたかもタカラヅカのようなツクリで、絵に描いたような悲しみと幸せのお話しが順繰りに紡がれている。
 そこがこれまでの大河との大差だという触感がする。

 女性を主人公にした『篤姫』との対比をすれば、より理解しやすくなる。
篤姫の行為やその心中について、近世の資料は豊富に語っている。外様大名島津出身であるのに、なぜ、徳川家大奥に君臨できたか。薩長と幕府のあいだに立ってどれほど融和に心をくだいたか。
 維新以降になってからもどれほど大奥女中の面倒をみたか、などなど。事績は語るに枚挙にいとまがない。

 かたや、江姫はどうか。
 数奇な運命に翻弄されたのは篤姫にまさるとも劣らぬ。父を幼くして失い、母と義父と死に別れ、姉とは家同士が敵味方に分かれて戦う。
 だが、その人間像についてはあまりに信頼できる記述がなく、詳らかことは分からない。歴史小説家はただ、その心理を推し量るだけだ。それにしても身辺のものが語る逸話は少ない。少なすぎる。
後世への眼に見える影響は夫の秀忠と子の家光を介してしか透過しえない。
徳川時代と始まりと終わりを彩った姫たちの時代の差なのだろう。
 どれほど想像をたくましくしても、戦国時代の過酷な生き死にをまじかに体験し、権力の中枢の家をまかなったという稀有の人生が、現代人に了解できるとは思えないのだ。
 戦国武将はそれとは違い、その志しや野心、欲望と人情はかなり理解できるものだ。領民への影響や家臣との人間関係も事績を通じて、ハッキリしている。

 今回の大河ドラマにおいて、どうしても人間理解の遠さが江姫とのあいだにあるような気がする。