明治24年に滋賀県大津で起きた事件が日本中を揺るがせた。ロシア帝国皇太子、後のニコライ二世を津田三蔵巡査が斬りつけた、いわゆる大津事件である。
その事件に衝撃をうけた畠山勇子は、国難を案じロシアへの詫び状をしたため、京都府庁前で自決を遂げた。巡査の非道を身に代えて償う、そういう目的の自裁であったらしい。
彼女の、おそらく辞世の句。
くもりなくこころの鏡みがきてぞ
よしあしともにあきらかに見ん
千葉県鴨川出身の平凡な27歳の奉公女中の行為は朝野を震撼させたという。
ラフカディオ・ハーンは、『勇子』という掌編を著し、この「サムライの娘の非凡性」を西洋人に伝えようとした。それが日本人の精神資産ともなろうとはハーンも予想できなかったであろう。
彼は、後年、わざわざ彼女の墓を訪れている。場所は京都の末慶寺。
石川淳も『ゆう女始末』で少し立ち入った彼女の姿を小説にしている。
大きな危機に際し、このような自己犠牲の行為が、往時の人びとを勇気づけたのは確かであろう。*1
個人的な感慨で選んだ勇子の行為に捧げる曲である。
甘すぎる旋律かもしれないが少しでも彼女の慰めとなれば幸いであります。
東の国から―新しい日本における幻想と研究 (上) (岩波文庫)
- 作者: ラフカディオ・ヘルン,平井呈一
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ハーンの『東の国から』には、現代人にははるか遠くなってしまった当時の日本人の勇気や廉恥心が描かれている。『勇子』もそのひとつだ。とりわけ、『横濱で』の舞台の場所がどこかが知りたい。
ハーンは学生の案内で、「地蔵堂」に住む老僧に会う。横濱の郊外だろうか、街の一角にある絵画に描かれたようなのどかな草堂で、仏教の生きた教えを説く老僧と語り合う。長い語らいの後、ブッダの親切な教えが老僧のうちに溶け込んでいるのがハーンには理解できた。老僧の長大な書きかけの仏教書を今度、読ませてもらうことをひそかに期して、ハーンは草堂を辞去したにちがいない。
次にその草堂を訪れた時、老僧はすでになく、書きかけの草稿もなく、地蔵堂はありふれた僧堂になりきっていった。
ハーンにとっては、これも一幕の美しい夢を見ているかのような儚い出会いだったのだろう。
この地蔵堂はどこにあったのであろうか?
ほんとうにあったのだろうか?
*1:茶化すわけではないが、彼女の名が「優子」であれば、こうした行為をなしたかどうか、気になる。