便利さを享受するうえで電気が不可欠なのは誰も異論がない。そのうえで数日間から数週間の電源喪失が何を起こすかをよく考えておいたほうが、よいだろう。
まずは、情報通信が使いものにならない。
かつては固定電話は停電も使えたのだが、それも昔の話し。インターネットはおろかテレビニュースも視聴できない。ケータイ・スマホはせいぜい3日間もつのが関の山だろう(自分のは24時間ももたない)。通信業者の接続装置が稼働していなければ、ただの音楽再生装置としての余命だ。ノートPCも同様だろう。
家庭内の水道停止や冷蔵庫の食べ物のことは無視しておこう。死活問題なのだけどね。なぜなら流通業者の仕入れも停止して、当面は保存食で腹を満たすしかないだろうから。
冷凍倉庫の食品は腐りだし、すべて廃棄処分にすることになる。
都市生活者の不便さは、ちょっと想像もつかないだろう。
交通事情の不便さは3月11日に味わっている。だがそれが数日続くとなると怖いものがある。
自動車の交通網では信号機が至る所機能しなくなり、手旗信号で交通誘導しなければならない。
鉄道は完全停止なだけだろうが、気の毒なのは地下鉄だ。地下水の排水ポンプが動かないとなると場所によっては駅が水没するところが出てこよう。
大型のトンネルや道路も同じだ。インフラが恒久的なダメージを受ける可能性がある。
空港は完全に閉鎖なのはいうまでもない。管制システムやレーダーが動かないとなると離着陸なんてできない。
エアライン業務も事実上不可能だろうけれど。
高層マンションでは予備電源がなくなれば、いや、なくならなくてもエレベーターはストップするので、玄関まできても高層階の自室に戻れない玄関前帰宅難民が続出する。
危険物を取り扱う化学工場で操業がストップする。安全停止が可能ならよいが、危険貯蔵物が冷却が必要だったり換気しなれば不安定化する物質であったりすると大変だ。連絡が途絶している工場では、対策も限られるであろう。
東日本大震災では、震災後に爆発したり炎上した工場がいくつかあったと記憶する。
つまりは、地震とか台風のような直接的な天災がなくとも、数日から数週間の完全な「電源喪失」だけで大都会は想像以上のダメージを受けるということだ。
こうした電気文明化を選択したのは我らだ。リスク管理の第一歩として、電気なき生活への理解と免疫が必要なのだろう。
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