サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

哲学が即、テクノロジーになる

 これまでに多くの思想とか哲学がおおやけにされてきたけれど、技術に直結したことはないようだ。哲学は主観的なコンテンツだからハードウェアとは関係ない、と異論があろう。
 いやはや、ごもっとも。それが事実であったし、常識だろうけど。

 不幸な例外というべきだが、例外はなくもない。
マルクス・レーニン主義が全盛時代のソ連で、ミチューリン主義生物学が勃興した。ルイセンコ学説と言い換えると通りがいいか。
 これはソ連圏の遺伝学や進化論を停滞させただけだった。
ポジティブな事例もある。 
 プラトン主義やピュタゴラス主義はケプラーの発見に流れ込んではいる。天界の調和の確信がなければケプラーの三法則に結実しなかったろう。それ故にガリレオニュートンの出現も遅れたことだろう。それ故に欧米の多くのテクノロジー、砲術の弾道計算や建築術の強度計算などや工作機械の発展にも悪い影響を与えたはずだ。
 要するに、間接的、かつ、迂遠なパスで古代思想が近代技術に流れ込んではいる。科学論でいう遡及主義的な主張に成り果ててしまう。
 ただ、それでも間接的すぎるし、迂遠な経路でしかない。

 認識論が即座にテクノロジーと直結するパスはないのであろうか?
 現象学的還元が実践できると事物の根底の把握力が高揚し、自己細胞のアポトーシス制御が容易になる...みたいな、そんな道筋はないだろうか?

 今のところ、青臭いアホくさい夢想で、ラファティのSFのような法螺になるのがオチだ。
彼の『他人の目』でも再読して憂さ晴らしだな。

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