サイエンスとサピエンス

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技術の定向進化と若年層失業

先進国で共通に見られるマクロ経済的な社会問題は「若年層失業率の増大」傾向である。若年層とは25歳以下の就業可能人口を指す。
 アメリカ、西欧諸国(イギリスやフランス、ドイツ)、それに日本では数十年それがトレンドになっている。
 経済変調を来たしているEUではそれが極端に現れている。
 2013年の失業統計をこのサイトでは「あまりにむごい」と伝える。

若年層(25歳以下)になる驚くような数字となる。ギリシャでは58.4%、スペインでは55.7%と過半数の若者に職がない。フランスは26.7%、イタリアは37.8%である。

 日本とて対岸の火事とばかりはいえない。
「20代前半の失業率は7.0%」とGabageNews.comは伝える。
しかも、就業者とても正規従業員というわけではない。40%はパートやアルバイトなど非正規従業員なのだ。

 なぜ、こうした現象が生じるかについて、経済学者の発言を聞いてみよう。
標準的なマンキューの『マクロ経済学』(1992)からの抜粋だ。

アメリカにおいては過去40年間に次第に失業率が上昇してきた。これに対
してさまざまな仮説が提示されている。年齢別人口構造の変化,共稼ぎ世帯の
増加,部門間シフトの増大などである。...

第1の仮説は,アメリカの労働力構成が変化してきたことを重視する。第二
次大戦後,出生率が急上昇し,その結果生み出されたベビープーム世代が1970
年前後に労働市場に参加してきた.若年層では高失業率が特徴であるから,こ
のベビープーム世代の労働市場参加が平均失業率を押し上げたと考えるのであ
る.
 第2の仮説は,女性の労働市場参加の増大が,複数の稼ぎ手をもつ家族数を
増やしたので,男性の失業率も高めたのではないか,と主張する.
 第3の仮説は,部門間シフトがより広範になってきたと主張する.部門間の
資源再配置が大きくなるほど,離職率が高まり,摩擦的失業が増大する.

マンキューはこれらの仮説はいずれも部分的説明でしかないと結論づけている。つまり、真の原因はわからないし抜本対策もないとお手上げ状態なのだ。
ましてや若者がその最大の被害者になる原因にも手の打ちようがないのだ。

統計的な現象論としてはフィリップス曲線という法則が失業率と実質賃金の間にあるとされている。

1861-1957年の1世紀にわたるイギリスの時系列データを検討して、名目賃金の年変動率と失業率との聞に負の相関関係があり、両者をつなぐ曲線が右下がりであることを発見しました。

 しかし、この現象の解釈ではケインジアンとその他との間で揺れるのだ。
佐藤和夫の『マクロ経済専科』によれば、独立変数をどうするかで失業を労働市場の不均衡なのか、それとも賃金の上昇率で労働者が馘首されるという見方でも曲線を解釈できるという。だから、マンキューのように正確な原因がわからないという主張になるのだろう。

ケインジアンは、失業率が労働市場の不均衡を通じて賃上げ率を決めるとみたのですが、この新解釈は、実質賃金の期待上昇率が与えられると、労働者は失業するかしないかを決定するとみます。


経済学者ではないが文明批評家というべきジェレミー・リフキンは『大失業時代』(1995)で慢性的な失業の要因を技術進化=省労働力テクノロジーが、職を奪うのだとする。集約型の機械とITが就業枠を狭めてゆくのだという見通しを述べたのだ。
そこで述べられていることはほぼ定説的な雇用と経済部門の変遷のサイクルのことだ。
 農業や鉱業など第一次産業の労働力は先進国ではすでに数%台になっている。製造業のような工業の属する第二次産業もオートメーションが一巡して新興国にその重心がシフトした。
 サービス業のような第三次産業第四次産業と呼ばれるオフィス業務のようなホワイトカラー業種がこれまで先進国の労働力を吸収していた。
 1990年代からその流れは変わった。店舗販売は通販にシェアを奪われ、オフィス業務は専門職を残して新興国にその業務をアウトソースできるようになった。その専門職とて自国民である必要性は乏しくなり、中国やインドに委ねられることが増大した。
 フリードマンの『フラット化する世界』が先進国と新興国の境をなくした時期が21世紀の始まりであった。

 20年経過したが、大失業という事態には幸い至っていないにせよ、改善されたわけでは全然ない。むしろ、職業の間口は狭まりつつあるかのようだ。
 それを更新する見方が最近になり話題となっている。
ブリニョルソンとマカフィーというアメリカ人によりものされた『機械との競争』だ。ここではコンピュータが仕事を奪うという単純明快な図式が示されている。
 フラット化と何が異なるか?
もはや新興国の労働者が競争相手ではないのだ。ITが業務を単純化し自動化するため、サービス業ですらも対人サービスではなくなりつつある。セルフレジやセルフチェックインで顧客自身が自分にサービス提供するはめになる。
新興国の工場からも自動化されAI化されたロボットが労働者を追い立てつつあるのだ。

 ブリニョルソンとマカフィーは、ホワイトカラーの業務も再度一掃されるであろうと予告している。今後、所得格差はひらく一方となり、就職口も狭まる一方であるという。
単純業務の単価が下がり非正規従業員でなければ引き合わない作業しか提供できないのがサービス業の有り様なのだろう。ムーアの法則やカーツワイルの法則が立ちはだかるのだ。これらの法則はコスト削減を呼び起こす魔法のようなもので、その術にはまるのは人件費という最大のコスト発生部なのだ。

 そこで技術革新はどうなるかという信頼できるシナリオを展開しているのが、『テクニウム』と『テクノロジーイノベーション』の著者たちだ。
 彼らの結論だけ先取りしよう。
技術革新のスピードは留めようがないままに新しい技術が登場する。それがコンポーネントである。それを使いこなせないビジネスマンや乗りこなせないエンジニアは脱落するしかない。進化の刃は人件費削減とスピード化に向かう。

 かくして、格差はますます拡大するしかないというのが21世紀前半の結論になる。では、先進国の二極化する若者層の大半が負け組みになるのが運命だとするのが、これまでの論者の指摘なのだが、彼らはどうするべきか?
 新しいラダイツを始めるか? 闘争開始している若者もいる。反グローバリズム運動やISISなどがそうだ。
 それともゲームの規則を変えるかだ。
ITの進歩を逆転するのだ。それが、ますます手間と不便さと非人間性が増えるという方向に退落させるのだ。所詮、それは自然災害には弱い、不正使用により被害を受けやすい、電力エネルギーに過度に依存する。大規模障害に弱いのだ。
 しかも、何かあれば一度に身動きができなくなる。
 ゲームもできず、ニュースもなく、友人との連絡も電車の予約もできず、はてまた電子マネーもなくなる。ナビ頼りの人は自分の位置すらもわからなくなる。
 こんなことが数回連続すれば人類は迷妄から醒めるであろう。

ところで、日本は先進国でも若年層の失業率が低いのだが、それが先進国中最速で進行している少子化のおかげであることを付言しておこう。少子化はある意味、社会の不安定化を予防する効果があるかもしれない。

機械との競争

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