サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

そして混沌は死んだ

 人々の愉しみと、快楽の源は「穴」の使用にある。
 飲む食うは、口腔とその延長である食道の通過感にあり。映画・テレビは眼孔と耳孔に入ってくる波動(音と光)への共鳴に我を忘れることにある。
 タバコは肺の、さらにスポーツはひとえに汗腺の駆使にかかっている。生殖・排泄は言うまでもあるまい。
 人体に置いて主要な穴は全身を貫通する、全身を覆う、頭部には眼鼻耳口が群がって存在する。
 鼻孔は飲食にも関わるが、嗅覚がなければその場にあるという感覚は薄まるだろう(イーフートゥアン「感覚の世界」のまとめ上げがうまい)

感覚の世界―美・自然・文化

感覚の世界―美・自然・文化

 穴は生命における流動性・物質の出し入れの位相空間である。生命維持に欠かせぬ空虚さといも言える。穴はその空虚さをもって生命活動に貢献する。ヒトは意図的に出し入れを拡大しようとする。穴を酷使する。
いや!
 その目的が変化して人は自らが穴に奉仕しているだけだろうか。主客転倒だ。

胎児の世界―人類の生命記憶 (中公新書 (691))

胎児の世界―人類の生命記憶 (中公新書 (691))

 フランスの貴族は祝宴においてもっと食べるために嘔吐した。現代人はもっと観るために画素数を増やし大画面とし3Dにうつつを抜かす(実物を模造映像で置き換える)
荘子にいう、混沌は7つの穴のせいで死んだ。老子も同様に穴を気の抜け穴と見なす。
穴を蓋げば気力が身体にみちるのだ。
          

塞其兌、閉其門、終身不勤

                      老子 第52章

 そも「混沌」は神々の眷属だった。それが仲間の神の老婆心から穴をほじくられて、
原初的な生命力を喪失してしまったわけである。混沌は気を封じてこそ混沌だった。

フェミニズムSF作家は混沌にあけられた穴に関心を示した。

And Chaos Died

And Chaos Died