山口昌男の「挫折の昭和史」はまことに意想外で新鮮な昭和初期の断面図を展開しているが、失われたヒーローとしての石原莞爾にあてる照明が人物をポストモダンに照らしている。
- 作者: 山口昌男
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1995/03/24
- メディア: ハードカバー
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可能的ヒーローの石原莞爾の事績は、満州国(短期的傀儡国家に終わった)の創建や五族協和の理想実現(大きな掛け声は小さく萎んだ)などがある。これらが永続的な実を結んでいれば昭和のヒーローとなれたかもしれないが、それは虚しかった。
その後の歴史が語るとおり関東軍の暴走と泥沼の中華事変は彼の負の遺産だ。
ただ、一時的にせよ一部の東洋人にその理念を共感せしめたことをもって善とすべきだろう。
満州国の五族協和とは何か。
「日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人」の五族の(平等的)民族自決による国民国家の創設である。当時の他の全体主義国家とは違いタテマエ的には東洋人の一体化を目指した。
この偽国が日本の中枢部の政治家や軍人らからは、ソ連への藩塀とみなされたことも事実である。
石原の人脈ネットはどういったものだったか。
石原莞爾→永田鉄山→岩波茂雄→寺田寅彦
石原莞爾→今田新太郎→津野田知重→牛島辰熊→大山倍達
石原莞爾→里見岸雄→北原龍雄→大川周明
などなどが同書によって紡ぎだされる。
石原は時代のハブだったのだろう。
永田鉄山は岩波茂雄と同郷であったそうだ。さらにやがては白昼凶刃に倒れる鉄山は、陸軍大学校出エリートでありつつ寺田寅彦と会談をするなど幅広い視野もあり、
時局の要人をして「もし永田鉄山ありせば太平洋戦争は起きなかった」と言わしめた。
ここで夢想が起きる。「天災と国防」(昭和九年十一月)なので地下都市を説いた寺田の意見が永田鉄山を介して、より陸軍の国防戦略にもっと浸透していればどうなったか。
あるいは合理的思考がもっと中枢まで浸透すれば、あのような無謀な戦いは避けられたのでないだろうか。