サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

iPodとiPhoneとiPad

 21世紀初頭のAppleの製品はインパクトがあった。
それらは何を我らに物語ってくれるだろうか?

iPodは何を変えたのか?

iPodは何を変えたのか?

なにがって、そりゃ情報が一切合切持ち運び出来るようになったことだろうか。
数千曲のmp3、数百のpodcast、数万冊の電子書籍などなど。
これらをシャッフルして自在に呼び出せる、そのデバイスが手のひらサイズだったこと。これが当初の驚きだった。
 しかもネットにつながれ、新しいコンテンツの買取が即座にでき、ヒトとのコミュニケーションツールはすべてその手のひらザイズの空間に押し込められていること。これも驚きだった。

 ヒトのココロの居場所はもう何処でも良くなった。相手の居場所もどこでもいい。その関係は1対1ではない。いくらでも他人が介入し、昨日の知人を今日の友人が押しやる。
シャッフルが人間関係にも及んでいる。何千人ともつながり自在に呼び寄せる。
 どこにも居場所がないヒトは移動性の端末のような存在だ。端点と端点が意味も持つのは、つながりがあるからなのだ。人間存在に対してつながりが主導権を発動する。
 つながりが失せた途端に自分が誰だかわからなくなる。自己を喪失する。ネットが1日でも切れてしまうとどうなるか想像もつかない人たちが溢れかえる時代だ。

ポーの短編で「群衆の人」というのがあったなあ。大都市の中、そのヒトは
たえず動きまわっていた。集団、人ごみ、行列を絶えず求めて動きまわる。ただそれだけで暮らす群衆にまぎれていないと生きていけいけないヒトだ。

アッシャー家の崩壊―ポー短編集 (Newton CLASSICS Illustrated)

アッシャー家の崩壊―ポー短編集 (Newton CLASSICS Illustrated)

他方、ブラッドベリの「群衆の人」は事故や災害のたびにどこからともなく現れる見物人の群れを主人公がおののきながら観察するという内容だった。

10月はたそがれの国 (創元SF文庫)

10月はたそがれの国 (創元SF文庫)