サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

ネガティブのパワー

ワンピースのウソップに捧ぐ

うつの時代で、自殺者3万強。先行きと逃げ場のない生活 やりきれない事件の多発。
 こうした社会的な気分は現代日本の特有のものではない。
まず、文化的な事態として「悲観的」なものの見方がどれほど多くの時代にどれだけ多くの人々の共通の見方であったか、振り返る。これだけ悲観的な見解や処世観があまねくまかり通ったが知れれば、ネガティブな気分も肯定されてしかるべきではないか。

私の感じるところ、みんな表面上はハレの気分で明るくなくてはいけない でなければ「うざい」とされる。
こうした暗黙の押しつけがあるのではないだろうか。
なれば、その逆の気分をここでは大いに肯定したい。
「ネガティブ」なことに自信をもつ。ふさぎの虫、それは賢さの現れだ。絶望には気散じの効用もある。
ましてや始めから絶望すればあとは救いの道しかない。この世に絶句することから勇気をリスタートできると信じよう。それには方法論的な自棄をおこすことだ。
 

「やけっぱち」精神が後代に希望をもたらす。
だいたい、世をはかなんだ人々の伝記が大好きだった。
 シルビア・プラス、ブリッジマン、谷山豊、久坂葉子鈴木いづみ....
彼ら彼女らは、なんでこの世に早く見切りをつけたのか?
自殺を一番肯定しそうな思想家といえば、ショウペンハウエルであろう。悲観主義の元祖だ。その彼は、意外にも自殺を否定している。自殺は生の盲目的意志を受け入れるからなのだろうか?

ダグラス・アダムス「銀河ヒッチハイクガイド」の出だしが代弁してくれている。アダムスの地球の住人の紹介がこうなる。

住人の多くはみじめで、大部分はとても不幸だった―デジタル時計を持っている人でさえそうだった。
そもそも木を降りたのが大きな間違いだった、と多くの人が考えるようになっていた。
木に登ったのさえいけなかったのだ、海を離れるべきではなかったのだと主張する者もいた

不幸なだけじゃない。不健康で不衛生だともいえよう。
古典期ローマでは、これが智慧のことばとされた。ヤレヤレだ。

プロテウスの知「生まれないことこそ最善の処世術」

 身も蓋もないことばだが、ニーチェも愛したフレーズだ。

もっと我らに近いところでつげ義春がいる。
つげ義春の石拾いをする駄目男は凡庸な男どもにとって隣り合わせの存在だ。これを極限にもっていくと無用者という伝統にいきつく。
 これはこれでエコな生き方だ。そして、究極のエコは自暴自棄だといえるかもしれないし、そうではないのかもしれない。

銀河ヒッチハイク・ガイド (河出文庫)

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自殺について

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無能の人・日の戯れ (新潮文庫)

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