1980年代に経済大国となった日本のもろくも儚く過ぎ去った「夢」として第5世代コンピュータの華々しさは、後の世の語りぐさにすらならなかった。
第五世代コンピュータとは何だったか。
要約しておく。1982年通産省の肝いりで開始された国家プロジェクト。米国主導の汎用コンピュータの流れを大きく変えるべく、より人間にとって使いやすい並列推論マシンを独自に生み出していこうという試みであった。
鳴り物入りで始まり、一時は米国の研究者たちも大いに危機感を抱いた。そんな大それたことを日本が試みた時代があったのだ。
その成果は人知れず公開されている。だから、当時の熱狂を知る一般国民でもそれは知らない。いや、知る人ぞ知るサイトで開示されている。URLに含まれる「Museum」が寂しい。
http://www.jipdec.or.jp/archives/icot/ARCHIVE/Museum/library.html
結果は大山鳴動して鼠一匹だったと言ってもよいであろう。
企業にも市場にもほとんど影響を与えることなく、10年の歳月と540億円が費やされた。
この失敗を何故に語りぐさとしないのか、不思議なことである。失敗から学べる事が多いのであるけれども。
唯一、東大工学部という主流のなかで、その批評と反省から学ぶ姿勢を打ち出したのは、西垣通だろうか。
秀才集団がパラダイム変換ではなくて、個別の技術的課題解決という隘路に踏み込んでいくのは、不可避な宿命であったとする。西洋の普遍言語への欲望という壮大なメタフィジックス、あるいはメタフィクションを持たない、デラシネ日本には、彼岸的パラダイムを望むべくもなかったとの語り口は納得できる。
なによりも「カバラと現代普遍言語機械」で西垣が批判する、その遠まわりな回路が
この批判の難しさを物語っている。カバラと第5世代コンピュータ批判。なんと迂遠な反省なのだろう。
だからこそ、第五世代コンピュータの政策的失敗は日本人には共有されない。語りぐさにもならならないで消え去る運命なのだろう。
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