サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

鼻くそほじり考

 鼻くそほじりについて、考えてみた。
久しぶりにホジホジすると大物が発掘される。それを抜き出すと「鼻のコリが抜ける」気がする。鼻腔に無理がかかっていたのだなあとつくづく感じるのである。
 このような爽快さを扱う学芸がないものかと調べてみた。

 自ずと向かう先はwikiである。「鼻ほじり - Wikipedia鼻ほじり」について、ネット常識は得た。
 自分も知っていた十代の鼻ほじり研究のイグ・ノーベル賞受賞や鼻ほじりによる死亡例、ローランド・フリケット 『鼻ほじり論序説』など興味深い情報があった。

 しかし、鼻くそ除去による鼻孔のコリに関する論述は、余りに卑小な茶飯事であり、どこにも記述は見出し得ないのである。一般に洋の東西を問わず、公衆の面前でするのは非常識ということで一致をしているらしい。たしかに、女性が鼻くそいじりをするのは見た試しがない。
 学問的に鼻ほじりを考察した事例は殆ど無いのが実情だ(科研費もつかないしな)

 デズモンド・モリスが『ボディ・ウォッチング』で鋭い指摘をしているのがようやく見出せた例外だ。

 鼻掃除というささやかな慰み動作をすることで、自分が退屈で欲求不満にあることをさらけ出してしまう。

 モリスのウォッチング・シリーズは人間動作を信号をする観点でしか分析していないし、かなり主観的な論述なので限界がある。

 であるならば、人間観察の達人である文人らはどうであろうか?
ほそぼそと文豪らの用例が幾つかgetできた。二人共大衆作家である。

吉川英治『くせ』

 良寛は、たんねんに拵えた丸薬大の鼻くそを、場所がら飛ばしかねて、右にいる人の袂へ、そっと、こすりつけようとしたが、その人が、袂を引いたので、今度は左側の人の袖へ持って行った。

久生十蘭 『顎十郎捕物帳 咸臨丸受取』

 あの火の見の下が辻番で、駕籠屋も、つい近所にございます」 顎十郎は 鼻孔をほじりながら、うっそりと小屋のうちそとを見まわしてから、 「……なア、ひょろ松、御府内の 悪者は、その後まだ鳴りをひそめているだろう、それにちがいなかろう」

 
 やはりwikiにある森鴎外を除けば鼻ほじりを考究した文人は稀であるらしい。



英語では「Pick my nose 」というらしい。