サイエンスとサピエンス

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和算家たちの本業

 和算は江戸文化の精華であります。身分を問わず和風解析的な幾何に多くの人びとが打ち込んだ、その姿勢と文化は同時代的にみても西洋諸国に比肩する、もしかすると和風な数学普及率では西洋諸国を上回る状況だったかもしれません。寺子屋では庶民が読み書き算盤を習っており、その裾野は広大でした。
 和算家たちは「数学」研究で生計を立てていたわけでは必ずしもないでしょう。とくにその創成期には和算研究は副業もしくは風変わりな趣味的なものであったわけです。なので、何人かの和算家の本業は何かを調べてみたのです。
 17世紀の毛利重能(17世紀)は大阪城の陣で籠城した武士で浪人であったようであります。勇将毛利勝永の関係者であったのかもしれません。その弟子筋が、有名な『塵劫記』の著者である吉田光由(17世紀)で身分は町人でした。毛利は森と呼ばれており、森とか吉田という名の現代数学者の先祖のような気もします。
 ここまでは、大阪や京都地方、つまり上方の和算家たちですが、謎の出自の高原吉種が吉田光由の弟子で、この高原吉種が偉大なる関孝和の師匠だと言われています。関東地方に舞台が移るわけですが、ひとまず、近畿圏が発祥の地ということです。
 こうして、関孝和が開祖となる「関流」和算が全国を風靡するわけです。それ以降の和算家たちの職業(本業)をちょっと調べてみました。


関孝和 17世紀 武士 勘定方
建部賢弘 18世紀 武士 納戸番
鎌田俊清 17世紀 不明(大阪)
中根元圭 17世紀 不明(近江) 武士?
会田安明 18世紀 農民?→武士(御家人
千葉胤秀 18世紀 農民
安島直円 18世紀 武士
日下誠  18世紀 町人
和田寧  18世紀 武士
有馬頼  18世紀 武士(大名)
戸板保佑 18世紀 武士
広田直  18世紀 農民(庄屋)
松永良弼 18世紀 武士
沢田千代次郎 19世紀 農民
小出兼政 19世紀 武士
北朝鄰 19世紀 武士

 あまり網羅的ではありませんが、かなり農民が多いことがわかります。
 また、遊歴和算家なる放浪学者的な人びとがいたことも知られています。算術教授を商売とするわけですから、こちらは本業が数学教授ということになりましょう(教授とは教え授けるとの原義)
 そのうち、始まりにおいて近代の西洋数学では数学者の本業がどうだったか調べてみたいと思います。
 どうも法律家があちらの国では多いような気配があるのですな。16世紀から17世紀でのフランソワ・ヴィエト、ホイヘンスフェルマーなどはそうでした。


 

Oxford 数学史

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世界数学者事典

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