幸田露伴翁の奇妙な味の短編『ねじくり博士』によれば、「ねじねじは宇宙の大法なり」となる。たしかに渦はいたるところにある。DNAで、風呂の栓で、台風の眼で、頭髪のつむじで、渦状銀河で、と変幻自在な現れ方をするのが「ねじくり」なのだ
ねじくり博士を地で行ったのが藤原咲平だ。昭和初期の気象学者といえばいいか。
彼の所説によれば渦は生命と似ている。その「集積の力」はエネルギー等分配の法則に反した働きがある。
エネルギーの散らばるのは即ち平等の法則であります。所が生物は一つ所に固まって来ようとする。
木にしても段々成長して大きくなるのは、それだけ集積して来るのであります。即ち生の現象がさういふ物の集積を起すのであります。所が渦巻は物理現象であって生物の現象ではないが、其の渦巻が集積の力をもって居るとい
ふ事に気付いたのであります。
然らば何によって集積を起すかといふと、渦巻は原始的で極めて簡単ではありますが、選択の能力があってそれによって集積が起るのであります。選択能力とは何かと申しますと、渦巻には右巻と左巻とありますが、是等の渦巻を二つ並べますと、引力があって、或所迄近づいて来ますが、それ以上は近づかない。
岡田武松の「岡田の法則」という気象上の観測事実もある。低気圧同士は引力を持つように振る舞い、高気圧と低気圧は反発し合うかのように振る舞う。上の記述にあるように低気圧は吸込口がある渦に似ている。
露伴翁のねじくり博士が藤原咲平というわけではない。しかし、渦に世界の形成原理をみたのは藤原咲平が最初ではない。そもそもデカルトが渦動宇宙論を唱えた。もっと数理的な渦動説を夢見たのはケルヴィン卿であろう。ウィリアム・トムスンだ。ほぼ万能の物理学者だったケルヴィンは理論も実験もよくした。ケルヴィンの渦定理はその一つだ。
それは一種の渦動原子説だ。
渦の不生不滅を示したヘルムホルツの渦定理などから原子をケルヴィン卿は渦運動の一形態と見なした。これはストリングセオリーの原型だと思うがいかがであろう。何よりも数学的なアナロジーが先行して観測が伴わないことが似ている。
それにしてもケルヴィン卿は当時の数理物理学者としては偉大であった。それは確かだ。その偉大さの慣性力によって飛行機械が不可能なことも「証明」している。