サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

データベースはパノプティコン、みたいな~

 技術哲学ではテクノロジーの意味を一歩離れて観察する。そのわかりやすい例が

「データベースは一望監視システム(パノプティコン)」というような洞察だ。

 もとはフランスの現代思想ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』という権力装置の史的な研究から刺激を受けて、20世紀後半の英米思想家たちが論じるようになった言説だと思う。

 それが正しいかどうかは別として知的な刺激になることは確かだろう。データベースがなかれば現代社会の組織の活動は著しく低下する。いや、存続は難しいかもしれない。学籍番号と学校の管理システムを思い出してほしい。学生課は学生の状態を把握するために学生個人の情報を正しく保持していなければ、在籍しているかどうかもわかならくなるだろう。

 管理のための必要な道具である。それには一望監視性が付随するかもしれない。例えば、であるが通常は学生を囚人しては取り扱ってはいない。

卒業に必要な単位をとったかどうかなどの公平性や判断の素材となるために必要なわけだ。

 ここに権力論が重なるとすこし変化がでてくる。大学のブランドを積極的に守るために不良分子の候補を早めに取り除こうと大学統治者が決断したらば、それはフーコーパノプティコンに変容するかもしれない。

 データベースは必要不可欠な道具なのは間違いない。それはしかし統治者側に著しい付加機能とパワーを与える。情報の非対称性。それを是正することは難しい。

監視者を監視する役人が必要になるとローマ時代の風刺詩人も嘲笑していたように。