サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

ウィトゲンシュタインと異星文明

 ウィトゲンシュタインの論理哲学、もしくはその後期哲学にはかなりキワドイ応用がありえる。
 クリプキが読み解いた「規則のパラドックス」から始めよう。
 これは教師が生徒に数列を教え、それに対して生徒はその規則とは異なる規則で自分は計算すると宣言する。奇妙なことに教師はその独自な規則を間違いであると証明できない。教師の権威はこの場合、無視している。
 普遍的と信じられていきた数学の世界ですら、あり得べからざる相互理解の不可能性が露出することに、このパラドックスの異様さがある。
 こうした規則がひと塊になると「島」ができる。島のなかでは論理空間は閉じているので、相互に理解ができる。だが他の「島」の住人とは理解できない。会話すらできない。
 と風変わりお話しを続けて、ようやく異星文明と地球文明の交信という段になる。

 端的にいえばこの地球上の文明は孤絶した「島」と見なせる。「規則」は数学を含めて、孤絶したものであろう。とすれば、SETIで進める規則的信号検出が異星文明の証拠であるという説はまったく楽天的空想でしかないことが分かろう。
 フェルミパラドックスはここでウィトゲンシュタインパラドックスと連携することになる。「島」が有する「規則」あるいは数学的原理は独自のものであるため、文明の発している電波信号はノイズと区別できなくなる。
 つまりは、異星の文明は孤絶しているために原理的に相互の存在を認識しえないのだ
 また、マーチン・ガードナーのオズマ問題(異星文明に左右の違いを教えるにはどうするか)も虚しい設定でしかないということになる。

 「島」の比喩はこの本にある。この書籍は先端的なウィトゲンシュタイン理解を伝えてくれる

ウィトゲンシュタインのパラドックス―規則・私的言語・他人の心

ウィトゲンシュタインのパラドックス―規則・私的言語・他人の心

 1980年台に多大なインパクトを与えた哲学書。定説ではないものの考えさせる本としてピカ一