日ごろから、青空文庫にはたいそうお世話になってます。その恩義に報いると言っては何ですが、「データサイエンス」の一種としての活用プロジェクトについて、レポートしましょう。
自分が使うのは青空文庫の右上の検索です。
これを使えば、誰でもライフヒストリのデータサイエンスが楽しめます。その時代範囲はおおむね、明治時代から昭和時代までの日本に限定されるます。
その例を二つあげます。洋食の問題例。カレーライスかライスカレーか、どっちが多用されているかです。
下が検索結果のまとめです。年代は初出が判明しているもののみ書いています。
カレーライス
古川ロッパ『色町洋食』
北大路魯山人『料理と食器』(1931)
太宰治『食通』(1942)
織田作之助『大阪の憂鬱』(1976)
坂口安吾『裏切り』(1954)
平林初之輔『夏の夜の冒険』(1930)
海野十三『毒瓦斯発明官』(1941)
ライスカレー
野村胡堂『奇談クラブ〔戦後版〕 食魔』(1947)
中谷宇吉郎『若き日の思い出』(1956)
古川ロッパ『食べたり君よ』
村井弦斎『食道楽 秋の巻』(1903)
相馬愛蔵、相馬黒光『一商人として ――所信と体験――』(1938)
北大路魯山人『美味放談』(1935)
高浜虚子『丸の内』(1927)
夢野久作『ココナットの実』
同じ作家でもカレーライスといったり、ライスカレーといったりしているのが分かります。どっちもありだったんでしょうね。
一番早い用例(全部サーチ結果を抜いたわけではないです)は俳人の高浜虚子の1927年です。師匠の正岡子規の影響で食にも目利きだったんでしょうね。丸の内でライスカレーを食べているわけです。
相馬愛蔵、相馬黒光がライスカレーとしているのは、とりわけ注意を惹きます。新宿の中村屋でインド人亡命者ボースとともそのメニューであったカレーも記憶されるので。
二つ目の例は「マスク」です。いつから日本人はマスクを使うようになったのかの概略が青空文庫から析出できます。
寺田寅彦『変った話』(1934)
久保田万太郎『三の酉』(1956)
木村荘八『役者の顔』
夢野久作『冗談に殺す』
岸田國士『空の悪魔(ラヂオ・ドラマ)』(1940)
高浜虚子『五百五十句』(1947)
上村松園『女の顔』(1905)
矢田津世子『神楽坂』(1936)
江戸川乱歩『覆面の舞踏者』(1926)
葛西善蔵『死児を産む』(1969?)
原民喜『鎮魂歌』(1973?)
芥川龍之介『浅草公園 ――或シナリオ――』
竹久夢二『春』(1926)
太宰治『懶惰の歌留多』
小酒井不木『卑怯な毒殺』(1927)
北條民雄『いのちの初夜』(1936)
林芙美子『浮雲』(1949)
野上豐一郎『大戰脱出記』(1949)
泉鏡花『古狢』(1931)
とかなりの件数がマスクを含む文章であることがわかります。
一番早い用例は上村松園『女の顔』(1905) です。日本画家ですね。しかし、その文章は「それからは細面のマスクになって居ります。」であり、顔面という意味でした。小酒井不木『卑怯な毒殺』(1927) も同じく、「病人はマスクのような顔をして、身動きもしないで聞いて居た。」
それ以外はアベノマスクと同じ使用例です。1926年以降であるのがわかります。そして、青空文庫のシゲリストの研究もヒットします。
医療従事者の服装 1348年から1349年の黒死病の流行時に医師たちは感染を防ぐためにマスクとガウンを考え出した。彼らの服装は諷刺や漫画のよい材料になった。しかしマスクは1910年から1912年にかけて満州で起きたペストや1918年から1818年にかけてのインフルエンザの流行で有効なことが証明された。
ヘンリー・E.シゲリスト『文明と病気』は岩波新書でもおなじみでしたが、青空文庫化されているのです。ここの情報だけからでもスペイン風邪(インフルエンザとシゲリストはしている)がマスクの契機になったとしてもいいでしょう。
第一次大戦のマスクの用例が同じ時期であるのは不気味な暗号でしょう。
それは野上豐一郎『大戰脱出記』(1949) にあります。
「O君はオペラの近所までガス・マスクを買ひに行くといつて別れた。」
毒ガスの防御とスペイン風の予防、異なるシーンでのマスクの出現というのは単なる偶然の一致なのだろうか。
青空文庫のおかげで、誰でもプチ・ライフ・ヒストリアンになれそうですね。
【参考資料】
類書にこんな本がある。