サイエンスとサピエンス

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デモクリトス 古代原子論者について

 ソクラテス以前の自然哲学者として一括りにされるアブデラのデモクリトスは、一般には古代ギリシアの原子論提唱者として知られる。

 量子情報科学者のスコット・アーロンソンがその著書の冒頭でデモクリトスの断片を引用している。

 知性:慣習として甘みがある。慣習として苦みがある。慣習として色がある。しかし現実には原子と空虚しかない。

 感性:愚かな知性よ、私たちをないがしろにしようというのか。おまえの根拠は私たちから得ているくせに。

 原子と空虚しかないと知性は判断し、感覚情報は慣習でしかないというのが、前半の言い換えだ。ふつうの原子論の説でもある。感性はその判断の根拠は感覚情報しかないではないかと反論しているようだ。

 アトム(原子)がとても微小な粒子であり、その存在する空間は空虚だとすれば、感性では捉えられないはずだ。感性の施しを受けた知性は正しい推論をしているのか、と確認を促しているかのような対話である。

 デモクリトスの膨大な著作はほとんど散逸してしまった。他の著者の引用をもとにした断片しかない。有名なディールズ=クランツにそのほとんどが所収されている。

それでもデモクリトスは感覚論の体系を有していたことはわかっている。

 古代の懐疑論者セクストス・エンペイリコスがデモクリトスの失われた著作から下記の引用をしている。

しかしわれわれは、ほんとうのところは、何一つ確実なことは認知していないであり、ただわれわれの身体の状態に応じて、そして身体に入り込んでくるものや身体に抵抗感を与えるものの状態に応じて、変動するものを認知する

 これは現代の心理学に照らして、それほど外れたことを主張していない。よくこれだけのことを紀元前でアリストテレス以前の人間が考えぬいたと思う。

 懐疑論者はこのあと、感覚の疑わしさや不定性の議論にもちこむ。デモクリトスは感性の提供する情報をそのまま受け取るべきではないと誘導するのだろう。ちなみにアリストテレスの自然哲学はデモクリトスの影響が甚大だと多くの哲学史家は見積りっている。

 デモクリトスたちの自然哲学は唯物論の祖とみなされるが、ギリシア哲学の研究者は古代原子論がエレア学派から生じたと考えている。唯一者の存在を延々と論じた不思議な人たちだ。あるものしかない、ないものはない。それを真正面から受け取るとあるものは原子であり、ないものは空虚ということになる。

 あのエレアのゼノンのパラドックスも見かけと存在の分裂を指摘したものだが、デモクリトスはそれを分割不能なアトムで受け止めたといえる。

 つまりイオニア自然哲学の完成なのだ。デモクリトスの年代はソクラテスと重なるとされるのだ。また、プラトンデモクリトスを強力なライバルとして敵視しているという。

 しかし、原子論でクオリアは解決できないなど、感性の知性に対する非難は現代でも繰り返されているのでないかなあ。

 

 

【参考文献】

  奇妙な題目だが最先端の量子情報科学の解説書として一流だろう。

デモクリトスと量子計算

デモクリトスと量子計算

 

 

  この本の末尾に原子論者たちは登場している。

 

  量子力学の開祖のシュレディンガーデモクリトスの知性と感性の対話を評価する。また、こういう引用もしている「わたしたちが本当に知っていることは何一つない。心理は奥底に潜んでいるからだ」シュレディンガーはこういうデモクリトスの態度に強い共感を寄せている。