経済学者として著名なケインズがニュートンを「最後の錬金術師」と評価して、反発をくらったのは有名な事件だ。ケインズは余暇の投資でかなりの資産を有していた。
その高雅な趣味の一つでニュートンの晩年の遺稿をオークションで入手した。その遺稿を読み解いた結果を『人物評伝』で発表したので、まんざら、出まかせの評価ではなかったわけだ。
ニュートンに限らず、科学者で逸脱路線に走った人たちは多い。近くはノーベル物理学賞のジョセフソンのように超心理研究を始めた例がある。アインシュタインの統一場理論もその一例といえなくもない。
錬金術研究について、それは科学者のすべきことではない、というのは極論だと思う。何についてであれ、課題と謎があれば研究するのは自由だし、それが科学の成長の原動力だ。
理論物理の研究態度の厳正さで知られていたパウリですらユングとコンビを組んで、ロバート・フラッドの研究をしているのだ。
ニュートン自身、熱心なキリスト教徒で、ユニテリアン派に属していた。三位一体論を否定するというラディカルな「異端」である。初期教会史に親しんだ人なら、アリウス派だと認識することだろう。カソリックが毛嫌いしていた分派だからだ。
自分などは量子力学のユニタリ変換を連想して、さすが時代の先駆者と冗談を言っているが、当時のイギリスにあってもこの教義はかなり危険思想に近いものだった。
錬金術研究はニュートンが造幣局長官になったことと関連があるという歴史家もいないではない。それまで手作りだった貨幣を鋳造と馬力による打刻に変えたのは錬金術の知識が役立ったことだろう。
ついでに言えば、レアなエピソードは聖書研究にもとづく予言がある。
彼の死後出版された『An Historical Account of Two Notable Corruptions of Scripture』
「ニュートン・コード」なる命名もされたことがある。中見利男の『ニュートンの予言』を引用しておこう。
つまリダニエル書とヨハネの黙示録に出てくる神のカレンダーでは、終わりの日は荒廃が起きてから、① 一二六〇年後、② 一二九〇年後、③ 一三三五年後、そして、④ 二三〇〇年後に、その荒廃をもたらす者は滅び、終わりの日が来ると預言されているのである。
黙示録を解読したニュートンの指定した起点は西暦800年だ。①の1260年後というのは
2060年だということになる。
ニュートンの「異端的」研究の論評については、すでに河辺六男の指摘がある。
神話の解釈、エジプトヒエログリフの理論、聖書の独自な読み取り、予言の実現についての状況的証明と河辺はまとめている。これらの研究は素人的なレベルではなかったと歴史家たちは口をそろえて証言している。
『プリンキピア』をあらわした天才科学者が老年期で道を踏み外したと考えるか、自然界の大いなる謎を解き明かした知性はその能力をより深めたとみるか、解釈する人の立場でどちらもありうるだろう。
生真面目な科学史研究である渡辺正雄編訳の『ニュートンの光と影』はこうした予言は完全に無視しているし、それはそれで正しいのだろう。
【参考文献】
ケインズの物議をかもした評伝。
半世紀前の1971年に河辺六男はニュートンの主著をラテン語から翻訳し、彼の生涯についてもかなり詳しく客観的な論評をしている。 湯川秀樹が言うように貴重な労作だ。
数式がなくて幾何学的図形だけで力学を論じているのには一驚したものだ。