サイエンスとサピエンス

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幽霊子育て伝説

このブログで「塚」について、性懲りもなくカタリを続けているが、やはり民俗学とはきっても切れない縁の話題なのだろうと本日は得心した。

 その昔、京都の幽霊子育飴をうる菓子屋からその飴を買い入れ、飴をなぶりつつ観光をした記憶がある。なんにせよ、そんな不気味な菓子を売り続ける京都は他国者に畏敬を抱かせるに十分だった。やがて、その伝説自体は日本中にあると知る。

みなとや 幽霊子育飴本舗

食べログ みなとや 幽霊子育飴本舗

個人的な思い出話はさて置くとして。民俗学との関係であります。
柳田国男の『赤子塚の話』が幽霊子育て飴の研究でもあるとは知らなかった。
 明治時代に柳田国男は、全国の塚を調べだしました。柳田は周囲の人に呆れられたといってます。「塚と森の話」「十三塚」など塚についての重要な論文を書いてます。

 初期の文通相手であったのが南方熊楠。和洋漢の原典を自在に引用できる博物学者です。南方熊楠はその原典が『旋陀越国王経』にあるのを即座に指摘しています。

「旋陀王がある夫人を寵愛した。大人は懐妊。これを他の諸夫人大いに嫉妬し、「子が生まれたら、必ず国、患う」と讒言。王、諸夫人の心ない讒言に惑わされ、夫人を殺し埋める。しかし夫人は塚の中で男児を生み、半身朽ちることなく乳を出し、赤子を育てる。三年して赤子、無事成長、塚を出でて鳥獣と遊ぶ」

南方熊楠の「死んだ女が子を産んだ話」にある。

 いやはや、巨人たちの知識にはかなわないなあ。幽霊子育飴を舐めながら柳田と南方のことを、ときおりは尊敬し、彼らの業績を読んでもみましょう。


 ついでなので、VOCALOIDでこの伝承をきいてみましょう。