サイエンスとサピエンス

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塚についての仮説=経塚起源説

 性懲りもなく「塚」です。このブログでは、塚のつく名前だの、幽霊子育て飴だのが
塚についてのカタリでありもうした。その続きです。

 柳田国男は塚について幅広い視野で情報を見通していました。古墳から十三塚や赤子塚など、飯盛山茶臼山。それに富士塚。もろもろの塚には一連の民俗的習俗があるのではないかと疑っていたのです。だから、古墳を単に考古学の枠に押し込めるのにも批判的でした。

 塚研究を総まとめした『民俗事上に於ける塚の価値』でこう述べています。

何故に経を土中に埋めるのか、多数の小石を塚に積み上げるに至った起源は何であるかを考へると、何人もまだ共が日本に始まった事か、他国他民族の聞から還って来たのかをすら断定する事が出来ない。況んや、塚の種類は、二三に止まらず、所在、名稽から推測しても、首初之を築くに至った動機を解するに苦しむものが幾らもある。或は何等かの塊裁物があって、それが小さいか、或は腐朽し易いかの気に掘っても出ないのか、或は又全然何物をも埋めなかったのが、それすらも答へ得る人はないのである。

 他にも重要な問いかけをしていますが、ここでは上記の質問に試案を提示してみます。これをもって柳田翁の問いかけに乏しい返答をしようというわけです。
しろうと談義ですから、論拠は薄弱なのはあしからず。

 奈良で最近になって全貌をあらわした遺跡に「頭塔」があります。奈良市高畑町の破石(わりいし)にある国の史跡です。どうもこれは「土塔」で一種のパゴダであります。44の石仏が安置されていたようです。
 ここで一挙に結論であります(さすが素人!)古墳とパゴダを習合したのが「塚」信仰ではないか。塚の元型である「経塚」はパゴダ(仏舎利塔)の庶民バージョンです。仏教小石を積み上げて塚をつくり、何かのかしこきものをまつるのであります。このように、土俗のアニミズム的な祖霊崇拝と仏教的な塔をつくって祭る信仰と土木的技法がいりまじって、さまざまな塚に分極化したのではないかと考えた次第であります。
 日本ではご先祖さまはみんな「ホトケ」になるように習合が進みました。それ故に、パゴダが民間のものに成り得たのでしょう。
 


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 ついでながら、柳田翁がしきりと気にしていた、全国各地の飯盛山や茶臼岳はやはり古墳からの土器の出土の記憶をもとにして地元民が、命名したのではなかろうか。古墳は全国に十万以上あったのである。そこからの椀貸し伝説が残る場所もあり、山中他界伝承もそれを物語るのではないか。
 考古学と民俗学の連携はずいぶんと深い連関性を彫り出すのに有効なのだろう。