兵庫県で不思議な場所とくれば、「石の宝殿」があげられる。自分も21世紀になってから友人とその神社を訪れる機会を得たことがある。
高砂市の生石神社(おうしこじんじゃ)にその巨石が鎮座している。神社そのものは伊保山という丘の頂上がある。印南野というのだろうか、南の工業地帯を見下ろす場所だ。
仔細はwiki記事をお読みあれ。
かつてのテレビのブラウン管をおもわせる巨石が丘の上にあるのは、なんとも異様である。播磨の国の古めかしさ、由緒といったものに感じ入った次第であった。
谷間をはさんでお隣りにに石切場があり、この神社の丘も古代にもやはり石を切り出す場所であったのでもあろうが、作業途中で放棄されたのであろうか。
重量は500トンだそうだ。
実は8世紀の「播磨国風土記」にもこの巨石の記述があり、すでに説話化されていて真の由来は分からなくなっていたらしい。しかし、神が満ち満ちている風土記だ。
これをとり上げたのは他でもない、昭和の倫理学者で日本思想専門家である和辻哲郎が幼少期にこの神社と巨石に接し、友人知己にその不思議な印象について、なんどか思い出ばなしをしたと聞いたからだ。
また、『自叙伝の試み』に和辻の述懐があるとある人から指摘があったので加筆します。和辻は十歳のころ「石の宝殿」につれられてその伝説を聞かされたそうです。
ある神が一夜にして石の宝殿をつくり世を大いに驚かしめんと欲した。
天邪鬼をつかって石屑を海に捨てさせていたが、大いにくたぶれた天邪鬼は
一計を案じ、偽って鶏鳴をあげた。神は夜明けがきたとかんねんして、
引き上げた
和辻はこのハナシをきき、印南野を伊保山から眺めながら、「深い神話の雰囲気」を心に刻み込んだと書き記している。
本当に幼児期に不思議の遺物をまえに伝説を聞かされれば、どれほどの印象を残すか、わたしなどの想像を絶したものがあるだろう。この和辻という人はとりわけ、芸術的感受性が鋭かったのであるから、その影響はふかい。
なるほど彼は近所の加古川で生まれ育ったのだったが、そんなトコロデ彼の古代への興味が芽生えていたとは知らなかった。多くの国津の神の棲む播磨の地への懐かしさは彼を日本の古代精神史研究や伝統へ駆り立てたのに違いない。
まっこと、兵庫はよか土地ですわ。
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