サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

印旛沼と椀貸し伝説

 先ごろ挙行した印旛沼ツアーで「房総風土記の丘」を駆け抜けた。千葉県北部にある古墳群(龍角寺古墳群)であります。

1970年台の印旛沼周辺と龍角寺古墳群
 
 ここは、4−5世紀に印旛國造が支配した土地であり、古くから拓けていた。東京の中心、すなわち江戸城周辺が湿地帯でヒトの定住を拒んでいた時代である。肥沃な土地であったらしく、古墳が百基ほど群集してある。
龍角寺そのものも東京の深大寺とおなじく古代から残存する由緒ある寺である。印旛沼を支配した豪族の氏寺であったようです。

 それの古墳のなかには玄室が向きだしの大型方墳がいくつかあり、学芸員さんの説明によれば「椀貸し伝説」があったとか。想像するに古墳から出土した土器や茶碗類を周辺の住民が、祭事におよんで借りだしては元にもどすような行為をしていたのではあるまいか?
 椀貸の伝統は借りた茶碗をなくすことで途絶える。不心得者が持ち去ったのであろう。柳田国男の『隠れ里』から関係する文を抜き出しておきます。

千葉県印旛沼周邊の丘陵地方は、昔時右のような食器貸借が最も盛んに行はれたらしい注意すべき場所である。なかんづく印旛郡八生村大竹から豊住村南柄引鳥へ行く山中の岩穴は、入口に高さ一丈ばかりの石の扉あり、穴の中は墨七八昼の庚さに蝋殻まじりの石を以て積上げてある。 里老の物語に日く、往古この中に盗人の主住みて、村方にて客ある時窟に至りて何人前の膳椀を貸して下されと申し込むときは、望み通りの品を窟の内より人が出て貸したといふことである。大竹の隣村福田村にはこれから借りたといふ朱椀が一通り残ってゐる由一云々。

 どうやら柳田翁がこれを記した頃は、「山中の岩穴」が古墳の開いた玄室だとは判明していなかったにちがいない。伝説の場所は下の地図でいう「岩屋古墳」であろう。
龍角寺古墳の玄室の一つ

 隠れ里と椀貸し伝説がセットであるのは、この『隠れ里』に論証されている。印旛沼のこのあたりも昭和の頃は深い森におおわれていたとは学芸員さんの談。そうした森の中に朱塗りの高級食器がある岩屋があれば、むかしのヒトは隠れ里を想像したのやもしれない。


参考:伝説の朱塗りの茶碗の写真


大きな地図で見る



柳田国男の『かくれ里』を含む伝説考究の書

一目小僧―その他 (1954年) (角川文庫)

一目小僧―その他 (1954年) (角川文庫)