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房総の龍伝説 覚書

房総の龍伝説 覚書
 千葉県ではかなり有名な伝説ですが、印旛沼の龍伝説というのがあります。

 天平4年(732)、関東地方が日照りと干ばつがつづきました。そこで、法力のあるエライ上人が印旛沼で祈祷しました。最後の日、雷鳴とともに大雨が降り出しました。その直後、空から三つに裂かれた龍の身体が落ちてきました。それを供養して寺を建てたのが、龍角寺、龍腹寺、龍尾寺です。

 この3つの寺は実在するのが、なにやらいわくありげで、ゆかしい。龍角寺には龍の頭骨と称するものが伝わる。龍角寺の伝承については赤松宗旦の『利根川図志』巻5に詳しい。原文はネットで読めます。それによれば和銅2年に「龍女」が顕現して薬師如来像を奉じたとあります。微妙に「龍伝説」と違いますねえ。
 ご愛嬌に妖怪伝承までついてます。これはご近所の龍角寺古墳のことでしょうか?

 大なる洞穴三ありて、なかに石畳を敷設け、むかしは人住みけむ跡とおぼしきに、隠れ座頭という妖怪住めり

 
 下総は妖怪だらけだったのでしょうか。
 龍腹寺についても記載があります。こちらは上の伝説と同じ上人由来の縁起があり、むかしは25坊ある大寺だったとあります。ご近所に「瀧水寺」まであります。


龍角寺 千葉県印旛郡栄町龍角寺239
龍腹寺 千葉県印西市竜腹寺626
龍尾寺 千葉県匝瑳市大寺2856

 最後の匝瑳市は「そうさし」と読む。寺の住所そのものが寺名に関するものだ。この他にも周辺には「龍ケ崎市」など龍にちなむ地名が残り、この一帯の共通の伝承であったことがうかがわれる。龍尾寺は下記の地図のはずれで右のほうに隠れている(成田空港の向こう側である) なんでここだけ離れているか、かなりナゾい配置ではある。


より大きな地図で 千葉県印西市竜腹寺626 を表示

 そういえば、2009年のNHK「小さな旅 竜神が見守る実り -埼玉見沼田んぼ-」という放送があっと記憶する。
 筑波大の民俗学者宮田登の書に「竜光寺」という椀貸し伝説のかくれ里が成田にあったと書いてある。国際空港のある成田市にかくれ里の違和感が気になって調べたことがあるけど、どうやら「竜光寺」とは「龍角寺」の訛伝であったらしい。柳田国男がすでに宮田が参照した『譚海』の中の誤りであるらしいとひと昔前に指摘していた。


 ともかくである。こうしてみると関東の一円に龍神信仰があったのではなかろうか?

 ちなみに柳田国男の『日本伝説名彙』によるとこんなのがある。

千葉県東葛飾郡葛飾村(現船橋市)
竜神社の前の小池の中にある。弘法大師が老婆に芋の襲を乞うと、これは石芋だといって与えなかった。すると、実の石芋となった。清水に捨てると芽を生じ今に至るまで茂っているという。(東葛飾郡誌)

永承年間、義家奥州征伐のとき、ここから下総の国に渡ろうとして暴風雨にあい、
義家が鎧を海に投じて竜神に手向け、下総の国に着いた。附近に兜塚もある。
 (江戸名所図会〉東京都茅場町(現中央区

【参考書目1】実は、中世の日本人は国土のいたるところに龍がいると観念していたようです。それが伝承として残存している地域があちこちにあります。

龍の棲む日本 (岩波新書)

龍の棲む日本 (岩波新書)

【参考書目2】赤松宗旦は江戸時代の布川に住んでいた医師です。丹念に見聞した記録を残してくれました。若き柳田国男の愛読書であったようです。

利根川図志 (岩波文庫 黄 203-1)

利根川図志 (岩波文庫 黄 203-1)