サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

チバニアンとPETM

 一部の人の間で話題になった「チバニアン」は国際年代層序表にお約束のとおり組み込まれた。それを日本地質学会のサイトで確認したのだが、PETMについても補足してみたい。

 

geosociety.jp

 

 日本地質学会で公開している表から、そこを拡大表記してみる。

77万年前か12万年前までにチバニアンが鎮座している。

    

 

さて、もう一つの覚えたてホヤホヤのイベントが5600万年前のPETMだ。

ja.wikipedia.org

 

暁新世・始新世境界の温暖化極大期がPETMのもとの定義だが、ここで急速な温暖化が起きているのが最近の注目の話題であるようだ。

現代(人新生: Anthropocene)と同じく急速な二酸化炭素濃度の上昇も起きたのだから、科学者たちがどよめいて、好奇心をそそるのは理解できる。

 

このオリジナルの国際年代層序表ファイルはこちらを参照されたい。

geosociety.jp

 

【追記】

 上記の層序表に2300万年前に「アキタニアン」というのがあるのが、気になった。

 

 

【参考文献】

 気候変動の地球規模での経過についての最新研究が手際よくまとめられている。

専門家や専攻する学生でなくても楽しく読める。

 

LLM(大規模言語モデル)への幾つかのコメント

その一、エモティコンは言語なのだろうか?

 顔文字だけでchatGPTと会話が成立するように訓練できるたら、愉快だ。

それな( ´-ω-)σ 

 

その二、大規模言語モデル言語学とどう関係するのだろうか?

 言語学の対象は「音韻」による言語が対象なはずだ。文字は後付けなのだ。

だからLLMは文字記号処理版の言語モデルであるというのが正しいのだろう。

つまり、chatGPTはため息や笑いは発しようもないのだ。顔文字は別名エモティコンというが情動からでる発声やサインは扱えないのではないか。

 

その三、LLMは言葉の出現確率を算出する予測モデルの一種だ。それを会話の間で更新ししながら、アドリブで文章が生成される。

 これは大脳がやっていることをうまくモデル化しているのかもしれない。

ライミング効果はLLMの定式化で確率頻度の更新の一種として説明できるだろう。心理的バイアスも説明可能なのではないだろうか。

 パラメータの数が1700億っていうchatGPT3の規模感は大脳言語野の神経細胞の結合の数に匹敵する。GPT4ではこの十倍だと言われている。

 だけどね、個人的にべき乗則で倍々ゲームでパラメータの数を増大させて高機能化するというのは、なんかいただけない話しだと思う。

 

その四、フレーム問題は解かれたか? デネットなどがAI論争で指摘していたような状況判断のビッグバンは免れているように思える。記号処理としての言語の範囲では、そうTOM(心の理論)も想定できるかもしれない。

 であるけれど重要な局面で妄想を抱かれるリスクがある。そもそも妄想がいかなる理由で生じるかもわからないときている。航空管制官にはなれそうもない。

 

【参考文献】

 

 

 数学に弱いGPT3というのが面白かった!

 

このテーマに格好の書籍があった。主題はアルゴリズムのバイアス。それを取り上げて最新の動向を教えてくれる。アメリカはAI実用化を先行させて様々な問題を引き起こしている。

 

10年前の日経サイエンスの記事からの懸念再起

  2012年の日経サイエンスの記事『気候変動 想定外の加速』はネットでダイジェストが読める。

 

www.nikkei-science.com

 

そこには

産業革命以前に280ppmだったこの濃度は現在395ppmである。

とあるのだが、2023年現在のこの値は「415.7ppm」らしい。

ざっくり言えば、10年で20ppm増加したわけだ。

また、同じ記事にはこうある。

2℃以下にするには,地球に熱をためる二酸化炭素(CO2)の大気中の濃度上昇を450ppmまでで止めないといけない。

 残りが35ppm分あるわけであるが、この調子だと17.5年で450ppmになりそうな感じなのだろう。つまり、2040年くらいには450ppmになる算段なのだ。

 大気中の二酸化炭素量はそれが直接的な気温上昇の原因かどうかは異論もあるようだ。例のハイエイタスという2000年代の気温停滞があったわけだしね。

   しかし、強い正の相関性があるのは否定できない状況であろう。第二第三のハイエイタスを期待するのは他力本願だろう。

 さて、この暑くなる陽気、長くなる暑さの期間は現代文明に対する重大な試練であり、どのような影響を与えるのだろう?

 ワットマンのファン付き上着のような耐暑テクノロジーを発達させるしかないのだろうか?

 

反面教師の参考文献

 いかなる不安にも根拠はありません。今までの経済活動は正しかったのはデータが示しています。現代人は反省不要です、という有難い教説の本はどうなのよ。

 

Diracと『罪と罰』の謎

Diracと『罪と罰』は最も縁がなさそうなテーマだ。しかしながら、伝えられることの少ない孤高の天才科学者の有名な逸話であります。

 人に勧められて読んだドストエフスキーの『罪と罰』への感想を聞かれた時の彼の回答が、一風変わったものであった。

「面白かったが一日に二回日が昇った日があった」と答えたそうだ。

 しかし、自分の知る限りその箇所を指定している人やWebを見たことがないのだ。

いったい、どこにそれがあるのだろう?

 

ちなみにLLMの一つであるGoogleのBARDではこうある。

ドストエフスキーの『罪と罰』のなかで一日に二回日の出がある箇所は、第六章の冒頭です。

この章では、ラスコーリニコフが、リザヴェータ・イヴァーノヴナを殺害した後、その遺体を埋めるために、セミョノフ橋の下にある空き地へ向かいます。

ラスコーリニコフは、夜通しセミョノフ橋の下で遺体を埋める作業を続けます。そして、夜が明けようとした頃、彼は、空に二つの太陽が昇るのを目撃します。

ラスコーリニコフは、この二つの太陽を、自分の罪の象徴として捉えます。彼は、自分の罪によって、世界が崩壊してしまったと感じているのです。

 原作ではラスコーリニコフは二人の老婆を殺害して殺人現場からそのまま逃走している。つまり、BARD君は嘘の供述をしているのだろうか?

この巧妙さには誰でも騙される!

大規模言語モデルというのは天才級の虚言癖の持ち主ではないか!

 

【参考文献】

逸話の原典はこちらである。Diracの人望のなさを反映して薄い本だこと。

 

 

【補足】

 ドストエフスキーの本を勧めたのはWignerである。彼の妹がDiracの奥さんとなる。

ところで、量子力学観測問題でWignerの友人というのがあるが、それは誰あろうDiracのことではないだろうか?

あのマスダールシティのビッグプロジェクトの現在の境地

 マスダールシティという壮大な都市開発は、アラブ首長国連邦 (UAE) により2006年あたりから着工されたビッグプロジェクトだ。

2016年までに200億ドル投入して、人口5万人の街を砂上に創り出す。環境に優しくユーザーフレンドリーな最先端エコシティが生まれ出る、はずである。

 どうやらこれまでに建設されたのは目標の5%程度らしい。産業集積も停滞していようだ。

 

ja.wikipedia.org

 

  当時の鳴り物入りの夢のプロジェクトだったようなわけだが、このハイテクシティのニュースは2023年8月時点でググっても古い記事しか引っかからない。

2016年の下記の記事が計画縮小を奉じている程度だろうか。

project.nikkeibp.co.jp

 

 かなり現在に近い状況報告を客観的に行っているのが、MIT Tech Reviewerだろう。

 MITはこのプロジェクトに本格的に参入して、マスダール工科大学 (MIST) に関与していたからだ。

www.technologyreview.

 

しかしながら、著名な建築評論家のオウロウソフが早くから指摘していたように、「ゲーテッド・コミュニティ」という差別前提のコミュニティを経済力によって力ずくで作る試みは危うかったわけだ

情報系の「空間」と集合論のメモ とくに暗号論に関して

 暗号化理論の基礎は記号の集合を別な記号の集合に写像することにある。

 その写像エンコードであり、それは逆写像はデコードだ。全単射であることが条件になる。

 ところで、その記号の集合XXXはバイナリーであることが前提。つまり、長さは問わず0,1から生成された列だ。自然数の集合の一種と考えても外れではないだろう。

 無限ではないが、大きさ(要素の数)の範囲は決められない。おそらくはグーゴルプレックスよりははるかに小さいだろう。ここで問題なのはグーゴルプレックスより大きな巨大数の構成は簡単であり、数字としては作成されていることだ。

 この集合の性質が有限であることは確からしいが、境界が決まらないのが問題なのだ。それは完全性を考えるとゲーデル不完全性定理のスコープになるかもしれない。

ja.wikipedia.org

 有界性も決められない。XXXの記号列は考えられたとたんにそこに追加されるようなタイプの生成途上の集合なのだ。言語は変化しているし、揺らいでいるからだ。

 空集合はこの集合に含まれている。だが、開集合ではなく境界が定まらないので位相空間ではない。

 ここでAI研究者たちは距離を定義し、ベクトルを定義している。それはベクトルめいているが、本当にベクトルなのだろうか?

急進的デジタル技術の社会浸透の見えない代償

 先日のお題「やはり気に入らないデジタル化コネクテッド社会への遷移」つながりだけれど、デジタル化は目に見えて便利で安くて処理が早くなる。それにつられて技術開発結果は即座に市場に投入されるのが当たり前、それがアメリカモデルだった。

 これが医薬品やバイオテクノロジーや大型産業施設だともう少し環境アセスメントとか、有識者会議なんかが立ちはだかり、ちょっと待ったをかける仕組みがある。

目に見えて危害があるからだ。しかるにデジタル化は電磁場とか物理系の安全性さえ保障されてしまえば、新規技術はそくざに市場に投入される。

 よく批判されるのがソフトウェアの製品としての不完全性。バグなどによる信頼性、サービス停止とかセキュリティ脆弱性とかであるがこれは普通の製造物責任の範囲でソフトウェア更新により保証される仕組みがあるし、可視的なものだから製品が売れなくなるなどの市場フィードバックがかかりやすい。

 自分が不安視しているのは、「人格形成」や「公共性維持」や「知覚機能」などというような認知能力や社会性に関わる人の役割形成といった「眼に見えず」「短期間に障害発生の有無不明」なインパクトのことだ。

 サン・テグジュペリは「本当に大切なことは目に見えないのです」と言っていなかったか?

 キーボードに馴染んだ人は書字能力が半端なく低下する。小学生以下の漢字書き取りになっているのだが、それはまだしも分かりやすい方だ。

 SNSのチャットでしかコミュニケーションとれない、あるいはネットワークゲームでしか人と会話できない人たちの存在はちょっと怖いものがある。

コミュ障は流行りことばで見過ごしてはならないのだ。

 もっと不確実性要因は生成系AIの登場と市場への乱入だ。

toyokeizai.net

 EUでは待ったをかけている。それに対して、アメリカや日本はイノベーション阻害したくはないという市場重視主義で反対の政策方針をとることにしているようだ。

 企業育成を優先させるアメリカモデルに右に倣えの日本はいつもの通りだ。

現時点でどっちの方針がいいとは即断できないという立場のは多くの人のものだろう。

しかし、そのインパクトは社会構造と個人の能力に及ぶことは間違いなさそうだ。

 生成AIは異色に見えるかもしれないが、これまでのデジカル化の潮流と外れるものではないことは理解しておいてほしい。

 すなわち、コストとスピードの観点で企業はそれを評価する。よって、人の認知機能を一部を代行させ、やがてマンパワーを次第に低減させてゆき、結果として社会の中間層のポジションにネガティブな影響を与えるのはこれまで通りの流れなのだ。

 

 

 

 

ダニエル・コーエンがグローバル化アメリカ企業の成長の結果について断罪している。