サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

ソーシャルネットワーク時代の無縁社会到来

 NHKが2010年来、精力的に特番を組んでいる『無縁社会』。
その極相といえる事態が高齢者の消失事件だろう。
NHKスペシャル「消えた高齢者“無縁社会”の闇」では 350件と報じていた。

 番組で取材された各ケースが示すのは、特殊な家庭でなくとも起きうるということであった。
 そのなかの一例。父親が亡くなって半年以上も不正に年金受給していた独身男性の事例があった。
 年金や保険などの経済的な処遇が恵まれているはずの自治体職員の家族の例だ。
老いた父親は自宅の一室で病死し、遺体のまま腐敗が進行しているのが、発見された。
葬式を出すカネもなく、助けになるヒトもいなかった。核家族の孤立化の末路だ。
 その経緯はこんなところだ。
まず、男性の母親の大病で退職金を使い果たし、娘(妹)を早くになくし、認知症の父親の介護で一人息子は職にありつけず...。頼るべき親戚と疎遠になり、近所付き合いまでもひいてゆく(近所の通報「老父を見かけない」で不正受給がバレた)
 ここで月並みな同情や不憫さの表明、「明日は我が身」論などや国や自治体への対策の要望を述べるのはヤメておく。息子を甲斐性なしというのはたやすい。だが、それも末論だ。
 彼らが家族持ちで、年金を受け取れていて、いっときでも幸福な時期があったことは指摘しておきたい。だから息子も、仏壇を守り親の面倒を見ていたのであろう。老後に起きるチョットした不幸の連続が彼を追い詰めた。
 今は違う。離婚率や未婚率は高まり、子どもを持たない夫婦が多い。なおかつ子どもがいても一人っ子だ。上記のケースより悲惨なハメにあう確率はドットと増えそうだ。
お一人様の悲惨な老後?だが、そうした比較論も今は不用だろう。誰かが声高に正論を論じてくれよう。
 それよりは、実縁よりネット縁が主流となった場合の老後ってどうなのかを考えてみたい。


 結論。いきなり結論だ。それもやや邪(よこしま)な結論だ。
 どうも意外と未来は明るいんじゃないだろうか。
病気のグチを聞いてくれたり、生活困窮をお互いに嘆てみたいりのたくさんの不満はけ口コミュニティが発生して孤独じゃないのじゃないだろうか。上記のケースでは残された家族がどんどん孤立化のドツボにはまり込んでゆく有様がうかがわれた。だが、ネットつながりがあれば少、なくとも精神的な孤立化はないんじゃないだろうか。
 認知症同士のスカイプTV電話なんていいんじゃないかな。ボケてる人たちだったらお互いのボケ具合を楽しめるような気がする。
 ある意味、いまの2チャンネラーの老後かなあ。
 それも、しかし、身体的な不如意を補えるかどうかは別問題だ。耳が遠くなり、足腰が立たず、ネットやりながら衣食住を切り詰めてミイラ化するのが目に浮かぶ。
 でもそれって悪いことだろうか?
 第一、余計な介護で他人に迷惑かけることもないしね。ミイラ化=即身仏と見なせば、宗教的であるといえるかもしれないし、日本の伝統的なお家芸でもある。

 ネット即身仏保険なんてのもいいかもね。ビジネスにもなるなあ。
なんとも馬鹿なブログネタである。自戒しよう。