埼玉県は深い泉であります。武蔵国の本体は東京ではなく埼玉でありました。
そのエビデンスを幾つかメモしておきます。古代的観点、歴史宗教的観点からの埼玉の珠玉を論じてみたいのでありますな。
まずは、氷川神社。この神社の起原は古い。武蔵国一ノ宮であり、孝昭帝の御代に創建された。出雲系の神々を祀る。須佐能の尊、大国主命、櫛名田姫の三柱である。
なぜ、氷川(ひかわ)か? 斐伊川(出雲神話の舞台)から来たという。
いやその前に、関東の地になぜ出雲神群が割拠するのか? 神社を司る西角井家が景行帝の時代にこの地に到来し、西角井家はアメノホヒを祖として出雲国造と祖を同じくするからだという。
それほどの伝統がこの地にある。そもそも大宮は氷川神社があるからオオミヤなのであります。
ついで、マイナーながら無視できない「調神社(つきじんじゃ)」
狛犬かわりにうさぎを配し、鳥居がないこの神社も古い。由来の前にこの鎮守の森の見事さを讃えておこう。鬱蒼とした大木に囲まれた神域は一種の荘厳ささえある。
けやきの大木が大都会にあるのは驚異であります。
それゆえに「調(つきのみや)」の七不思議が当地に伝わるのも違和感がない。
一、鳥居がない事
二、境内に松がない事
二、御手洗池の奇
四、使姫兎の事
五、日蓮聖人駒繋の欅の由来
六、蠅がいない事
七、蚊がいない事
さて、調(つき)の由来だが、渡来人の調(つき)氏が奉じたからだという説がある。百済王の子孫、弥和がここで徴税に携わっていたのだ。また、現地にはおおつき姓が多いのだと関口道一氏は報じているが、むしろ関口氏は調御倉社の名残りと考えている。「けやき」は「ツキノキ」というそうだ。
そして、極めつけは、さきたま古墳群であります。
関東の文化中心の古代、それは行田市郊外のココらへんだったのでありましょう。別途詳述しましょう。そして、そこにある前玉(さきたま)神社が「さいたま」の原点なのでありましょう。
他にも彩り豊かな神社群が軒を連ねるのが、埼玉なのであります。
・クイズ神社で知られる久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)
・野球の守護神 箭弓稲荷神社
・聖神社 和同開珎の地にある銭の神様
・オマケではありますが、一番有名な「らき☆すた」の萌神社 鷲宮神社(わしのみや)
実は、この神社の文化財は半端ではない。由緒ある古鏡のコレクションは注目だ。
「でぃ〜ぷ埼玉 」も参考になろう。
http://www.sainokuni-kanko.jp/?page_id=27
調神社の位置
本当の街中にあり駐車場はありません。
原武史氏のこの書物の第二部「埼玉の謎」は埼玉復権を願うすべての埼玉ピープル必読であります。
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【参考書】関口道一「浦和周辺の古代社会」