サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

煬帝の墓発見で考える

 暴政でもって自滅した随の煬帝の王陵らしきものが発見されたという。混乱期によくも墓地などにお隠れになれたと感心する。
 王陵は考古学・歴史学の豊富な情報をもたらす。
 特定の古代文明についてはその存在は圧倒的なものがある。エジプトのピラミッド群や始皇帝陵などを、我が国では古墳を思い浮かべれば、言わんとすることは分かろう。

 それが、現代文明に生きる我らにとって持つ意味をサラリと書き置きたい。
王陵が考古学の大きな主題になる。それがもたらすのは、当時の権力者や支配層の生活世界と来世信仰の世界観だ。現代人に看取しえる共感力を駆使して、彼らの精神世界を理解しようとしているのが、考古学者であり、その学者たちを動員している現代文明である。

 皮肉にも、20世紀と21世紀という地表を開発しまっくている世代に、その遺骸と遺物がタイムカプセルともいうべき陵墓に梱包されて、伝えられるのだ。
しかも、後世の無関係な者どもに暴かれているわけである。
 地球規模での王陵荒らしと自然環境破壊は、おそらく同じような現代文明の精神性の顕現であるとして、間違いではないだろう。先祖が苦心して埋め隠した墓を暴くのが考古学というものなのだ。
 つまりは、大地に埋め込まれた記憶を発掘するか、鉱物やエネルギー資源を掘り出すかの違いでしかなう。

 現世代は最大の盗掘世代ともいうべきであろう。「盗掘」は学問の名のもとに行われて、盗掘された遺物と遺骸は民衆に晒される。
 ある意味、お気の毒様という感もある。

 皮肉なことというのは以下の点である。公認盗掘された王者たちの來世は博物館だったのである。
 換言すれば権力者たちの信じた甦りとは、後世のミームワールド(カール・ポパーの世界3)での再生であったのだといえよう。


神・墓・学者―考古学の物語 (上巻) (中公文庫)

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