サイエンスとサピエンス

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千葉県の地名の古代

 千葉県、つまり房総半島は古代にあっては拓けた土地でありました。上総、下総、安房と3つにわかれていたので、地方豪族の勢力圏もそれだけ細分化されていたのでしょう。鎌倉時代以前には武蔵や相模などは、千葉に比べれば、ど田舎だったんじゃないですか。
 木更津の奥に「馬来田」という土地があり、久留里線の駅もあります。馬来田にはたびたびお邪魔しました。駅前のひなびた風情はお気に入りです。この寂れた土地が古事記にある馬来田国造の本拠なのですね。古事記の時代には武蔵や相模などは後進地だったんです。千葉の市町村の名が古寂びていることでも、それはウスウス感じられます。

 最近、気がついたのですが、蘇我と物部にまつわる地名があるのですねえ。

1)千葉市中央区蘇我町。
 ここは「蘇我比め神社」があります。町名の元です。
 日本武尊の后、弟橘媛とともに入水した5人の官女の一人が蘇我氏の娘だったといいます。その女人が流れ着いたとか、つかないとか。
 東京湾の対岸の三浦半島の走水には、弟橘媛を祀った走水神社があります。

2)千葉県匝瑳市(そうさし)。
 外来者が誰も読めないない地名で話題になります。この匝瑳は古代の群の地名なのですが、物部匝瑳連熊猪や同じく、物部匝瑳宿禰末守という鎮守府将軍らが9世紀に輩出しています。
 匝瑳市は古くから、物部氏に関わる土地柄なのです。
 また、四街道市物井は物部の転訛であろうと思います。むかしは、下総国千葉郡物部郷との記述があり、物部と地名が刻まれた石碑も出土しているそうです。千葉と茨城の物部氏については、谷川健一『白鳥伝説』がとても参考になります。

 こちらのサイトによれば物部氏系の神社が千葉には22社あるそうです。
東国の統治で、物部氏はおおいに勢力を拡大していたようです。

 ご承知のように、6世紀後半に蘇我氏物部氏は権力闘争を行い、覇権は蘇我氏が握り、物部守屋は破れて中央からは姿を消します。しかし、房総半島のような地方ではまだ勢力を保っていたのですね。聖徳太子が活躍した時代でもあります。
 さらに伝説の時代には日本武尊という神話的英雄に伴われ、蘇我氏の娘が漂着した土地が千葉だというのも興趣がつきない土地柄であります。


蘇我比め神社の所在】


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白鳥伝説〈上〉 (小学館ライブラリー)

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物部氏の正体 (新潮文庫)

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