サイエンスとサピエンス

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消えゆく巨樹の姿からの温暖化随想

 愛知県の津島市の中心にある牛頭天王社の山門前の巨大なイチョウ。ご神木である。
 力ある枝ぶりとしめ縄がもっさりとして横綱のようだ。ご近所には大ムクもある。


 農耕文化がスタートしてから人類は着実に樹木を刈りたててきた。アジア史家といってもいい宮崎市定は、西アジアにおける森林破壊が文明の発展とともに進み、回復不可能になったことを指摘している。例えば、レバノン杉などはレバノンの名産だったが、それが森林をなしていたなどとは現代人には信じられないだろう。
 日本では鎮守の森としてホソボソと樹木を保護してきた。だから、都会の中に巨樹が残ることがある。
 自然保護の先進国であるヨーロッパではそうはいかなかった。
かつては(ローマ帝国の頃など)フランスやドイツは樹木に覆われた未開の土地だった。たとえばドルイド教徒は神樹や世界樹などともあった。キリスト教は森林とともにそこに住む神も排除していった。産業革命はそのあとに来るべくして到来したのだ。
 たしかに、いまでは公園として整備された緑地が都市にひろがっているが、それも馴化された自然であり、巨大な樹木などはどこにもない。

 W.F. ラディマン(バージニア大学)は,もともと低下傾向にあったはずのCO2増加が8000年前から、5000年前から急速にメタンが増加したことに注目して、前者は農耕文化の開始に関連付け、後者は南アジアにおける灌漑と森林伐採が原因であると推測している。農耕以前からの証拠が氷床コアに残っていたわけである。
彼の説が正しいならば、大気の炭素化は工業化が加速したというだけにとどまらず、人類が文明化を開始することによる必然的な結果であることになる。つまり、ちょっとやそこらの弥縫策ではCO2増加を停めることができないことを意味する。
 ラディマン論文の要約は日経サイエンス・サイトにある。下の参考の資料に論文は掲載されている。

 話は変わる。
 明治後期の日本の紀伊半島の出来事だ。
 南方熊楠は神社合祀の流れで多くの巨樹が伐採され、売られる様を見聞している。とくに三重県の阿田和村の大楠が切られると知った熊楠は柳田国男に「音にきく熊野くすの木日の大神も柳の陰を頼むばかりぞ」と身もだえながら援助を乞う。そのキッカケとなったのだ。
 熊楠の住んだ紀の国=木の国周辺の文明開化とはそういうものだったわけである。このときは幸いにも阿田和村の大楠(名称変更されて引作の大クス)は伐られずにすみ、三重県の天然記念物になって残存している。
 チョット嬉しい。

パンドラの種 農耕文明が開け放った災いの箱

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