サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

『ネットバカ』読む前の読書録

『ネットバカ』を今更ですが入手した。
 せっかくなので、読書前にどんな内容かを推測する読書録をメモしておこう。
以下は純然たる推定であり、上の本の内容とは今のところ無関係であります。

 ネットを利用していて気づくのは、「断片的な情報」の切れ端に満足してしまうこと。背景もしらず、波及する範囲もわからずに見出しとセンテンスで、了解した気分になってしまうことだ。
 切れ端バカとなりました。そういうことが書かれているんではなかろうか?
それに、ポール・ヴィリリオを指摘を追加しておく。現在の君臨だ。
 周囲で沸き起こる「ナウ」に完全に釘付けになるキライがありすぎる。ニュースサイトもそれに力を貸す。自分ながら一日に何度となく新聞社やテレビのサイトでニュース見出しを見ることか。
 メールを読みに行くのも「現在の君臨」の最たるものであろう。
「当然じゃないの」と貴君は言うだろう。
しかし、イマココに生きるのみが人にあらず。人は未来と過去に十分な留意をしつつ、自分自身を観照することがヒトである由縁なんじゃないかと思う。
 アリストテレスは言った。自由人はすべからく観照すべし。

現在に拘束されることは、自分自身ことをかなぐり捨てて、「社会」と「みんな」に同調しようという衝動である。本来は他者や社会は二の次なのだろうけど。
「絆=繋がり」というのは誤解があるんじゃないだろうか。情報をシンクロさせるのが絆ではないはずだ。

 そして、検索はいつのまにやらデータベース用語辞典を抜けだして、生活用語と化してしまった。便利なようでおそるべき情報視野狭窄という後遺症を残す。情報視野狭窄とは、与えられるエサ情報がランキングにより著しく限定されることである。同じ言葉を調べて20リンクを調べるモノはマレだ。リストの1頁目のリンクで満足してしまう。

 断片化した切れ端情報と視野狭窄で、今ここに生きるネットバカとはお山の大将だ。

以上、読書前感想文でありました。

 マジまだ読んでないし〜。

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

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