『人間機械論』で名を残すラ・メトリーはフランスの医者であり思想家でもあった。
そうとうに愉快な人物であったらしく、啓蒙主義君主かつ軍事的独裁者でもあったフリードリヒ大王に大いに気に入られていた。
「ラ・メトリを手に入れたことを自分ながら大手柄だと思って喜んでいる。かれはおよそ人の持ち合わせうる限りの快活さと機智を具えているし、医者の敵でありながら、良医であり、唯物論者ではあるが、少しも物質臭がない。」
という大王の書簡が残っている。
生活ぶりも豪快といっていいだろう。キジ肉と松露入りパテを食べ過ぎた結果、自分自身による治療の甲斐もなく死亡したという。
何とも、美食家ぶりを彷彿(ほうふつ)とさせるラスト・エピソードである。
【ラ・メトリーの肖像画:若ハゲっぽい陽気な人物像】
レーニンもそうとうに快活だった一面がある。クループスカヤやゴーリキーの追憶にその笑う姿の印象が記されていいると中沢新一が『はじまりのレーニン』で指摘していた。汗を拭き拭き笑いながら演説するのだそうだ。
しかしながら、弁証法的唯物論の代表でもあるマルクスやエンゲルスに関しては陽気な人物像というイメージは、自分の読んだ評伝類からは伝わってこなかった。
唯物論者の享楽性や快活さには、これまたギリシア的原点がある。アブデラのデモクリトスである。「笑う哲学者」と古代に呼ばれていた。レウキッポスが原子論の創始者であるが、デモクリトスははるかに浩瀚な著述群をものした。残念ながらプラトンの呪詛がかなって一冊も現代には伝わっていない。ただ、アリストテレスはその自然学でたびたびデモクリトスを引用しているなど、断片は多く現代までもたらされている。
バートランド・ラッセルの評価を書き写す。デモクリトス以降人間中心の倫理的な思考が強まり自由度がそこなわれてゆくとラッセルは語る。ラッセルはとくにソクラテスとプラトンを念頭においているのだ。
デモクリトスらの思想は科学的だけでなく、空想力にも富み活気があって、冒険の喜びに満たされていた
さて、ラッセルの『西洋哲学史』を読んでも、笑う唯物論者の姿は出てこない。それはもっと古いヘーゲルの『哲学史』でもそうだ。
なぜ、笑うデモクリトスなのか?
ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』でもその笑い声は伝わってこない。
それを考えるヒントがカーク、レイヴン、スコフィールドの『ソクラテス以前の哲学者たち』(第二版)にあった。
デモクリトスの倫理学の著作『快活について』の断片だ。
快活でありたいと思う者は、私的にであれ公的にであれ、多くのことをするべきではないし、何をするにつけても、自分の力量と自然本姓に過ぎたことに手出しをすべきではない。
あるいは、
何故なら快活さが人間に備わるのは、適度な喜びと均衡の取れた生き方によってである。不足と超過は変転しがちで、魂に大きな変動をもたらしやすい、そして、大きな振幅で変動している魂は、安定性もなければ快活でもない
このような倫理上の著作の断片のボリュームはデモクリトスの残存文章の4/5を占めるという。
ありゃりゃである。
自然学よりも倫理学の、それも生活教訓的な処世訓が唯物論者の遺産であるとは意外といえば意外である。ひょっとしたら、この傾向が後の世のエピクロスにも遺伝したのではないだろうか?
同じく唯物論者、といっても神々の存在を許したのだが、エピクロス哲学の目標はアタラクシア(平静な境地)であって、倫理的な教説に変容したからだ。
デモクリトスの考えはアリストテレスの「中庸」にも通じる主張である。ちなみにアリストテレスはデモクリトスを尊敬していたらしい。トラキアとアブデラの近さもあろうが、やはりデモクリトスの自然学はそうとうに優れた内容のものだったのだろう。それに数学者としてもデモクリトスは力量は、数学史家ヒースの評価が高いのだ。
というわけで、快活さを主張する断片が後世にデモクリトスの説として広められて、その結果、笑う哲学者、笑う唯物論者のイメージが定着してきたのだろう。
だが、フォイエルバッハやドルバック男爵などのドイツ系の唯物論者は快活なイメージがあまりないのではあるが。
【参考図書】
一番、読みやすく実になる哲学史はラッセルのものだろうけど、入手困難だ。読んで楽しい本でもある。
西洋哲学史 1―古代より現代に至る政治的・社会的諸条件との関連における哲学史 (1)
- 作者: バートランド・ラッセル,市井三郎
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1970/03/30
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バーネットの名著。自然哲学に未練があれば是非目を通すべきだろう。なぜというにアルケー(始原)にはすべてが生のままですべて揃っているから。
- 作者: ジョン・バーネット,西川亮
- 出版社/メーカー: 以文社
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愉快なお医者さんの身体談義。医者は懐疑論者や唯物論者になりがちだというのは理解できる。
- 作者: ド・ラ・メトリ,杉捷夫
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学術的には精度が高くバランスがいい。けれども読み通すのには不向きだ。
- 作者: ジェフリー・スティーヴンカーク,マルコムスコフィールド,ジョン・アールレイヴン,Geoffrey Stephen Kirk,Malcolm Schofield,John Earle Raven,内山勝利,國方栄二,丸橋裕,木原志乃,三浦要
- 出版社/メーカー: 京都大学学術出版会
- 発売日: 2006/11
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フラグメンタの文庫版があった。三巻目が古代の原子論者にあてられており、大半がデモクリトスの断片である。
- 作者: 日下部吉信
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